悲鳴窟

怪談その他

【実話怪談】冷蔵庫の下

ある朝、日本語教師の美恵子さんが仕事に出る際、マンションの一階ロビーにある郵便受けを開けると、二年ほど前に思い出したくもない別れ方をした元彼からの葉書が届いていた。
そこには元彼のものではない筆跡で一言、

「冷蔵庫の下」

と書いてあった。
まったく意味がわからない、と美恵子さんはその葉書を破り捨て仕事に出たが、バスの中でうとうとしていたところ、じぶんの家の冷蔵庫の下からスルメイカのようにぺったりした女が出てきて、部屋中をずりずり這いまわる、という気味のわるい夢を見た。

そんなせいで勤務中も「冷蔵庫の下」という言葉が気になってしかたない。集中できない。元彼とのあいだに「冷蔵庫の下」にまつわる出来事があっただろうか、とも考えた。なにもない。
それともなんらかの暗喩や符牒なのだろうか。やはり、思い当たることはなかった。

帰宅した美恵子さんはしばし黙考したのち、友人の朝彦に電話をかけた。
朝彦とは以前、一瞬だけいい感じになりかけていたのだが、美恵子さんのほうが最後の最後で煮えきらず、結局、おたがいに都合のいい友人という関係を保持していたのである。

数コール目で電話に出た朝彦に、
「ちょっとお願いがあるんだけど」
と切り出すと、
「あッ、ごめんだけど、おれはそれ、たぶん力になれない。というか100パー無理。どうにもできない。そっち方面の知り合いもいないし、それでどうにかなる問題でもない気がする。わるいこと言わないから、すぐにでもその部屋は出たほうがいい」
いきなりそんなことをまくしたてたのだという。

「ちょ、まだわたし、なにも言ってないんだけど」
美恵子さんが言うと、朝彦は、
「言わないでもわかるし、聞きたくないよ、『冷蔵庫の下』の話なんて」

電話は切れた。かけ直す気もしなかった。

美恵子さんはその日のうちに荷物をまとめ、隣県の実家に身を寄せた。引っ越し当日まで、決してひとりでは部屋に戻らなかったそうだ。

なぜなら朝彦に電話を切られる間際、

「ばーか」

という女の声が聞こえたのである。
明らかに悪意ある嘲笑が混じっていたし、なによりそれは美恵子さんの部屋のどこかから聞こえたのだという。

引っ越しの歳、業者が冷蔵庫を持ち上げたところ、埃にまみれて、一枚の名刺が出てきた。
それは美恵子さんには縁もゆかりもない九州の某都市にある風俗店の関係者のものらしかったが、裏面にはあの葉書と同じ筆跡で、

「よわむし」

と書いてあった。

朝彦とはその一件以来疎遠になってしまい、そもそもの発端である葉書を送ってきた元彼は、交際当時と同じ職場に勤めているようだが、もはや、なにかを問うてみる気も起きない。
そんなことがあったせいで、美恵子さんはいまでも「冷蔵庫の下」が怖いのだそうだ。