【読書感想】川奈まり子『家怪』(晶文社)
川奈まり子氏は現今、実話怪談をものする作家の中で、トップクラスのネタ量を有する方と言われている。
が、一度でもその著作に触れた者ならわかるだろう。川奈氏ほど、質か量かという二分法が当て嵌まらないタイプの作家はない。文章の風格、構成の巧み、怪談とその周辺文化に関する知識といった面でも、他の追随を許さない境地にある。
本書『家怪』はタイトル通り、全篇、家と家族にまつわる実話怪談によって構成されている。昨年、夜馬裕氏の『自宅怪談』(イースト・プレス)が出たばかりで、正直またか……とやや食傷気味だったのだが、そこはさすがの川奈氏、本書では地縁と血縁の両面から怪異に迫るスタイルを徹底している。
大きな特徴として挙げられるのは、ディティールへの偏執的なまでのこだわりだ。怪異の舞台は家であり、家族。またその舞台が単なる背景にとどまらず、怪異それ自体の根幹に関わるものであってみれば、単に「起きたること」を描写するだけでは不充分だろう。
当該の家と家族、その附属物の顔が、怪異の目鼻立ちになると言えばよいか。物をしてモノを語らしめる、川奈怪談の真骨頂である。
すなわち、土地の歴史、親族構成、間取り、家具、調度品、装飾品……など、その家を構成するすべてに骨絡みするいわく因縁の数かずを、川奈氏はたおやかになぞっていく。そのしぐさがいささかエモーションに傾いたかと思えば、次の瞬間にはドライに突き放す、まこと縦横無尽な筆の冴えといえよう。
また実話怪談とは、体験者の人生の一部を切り売りする文芸の形式である。更に言えば、実話怪談はその客体化の方法の、決して少なくない部分を私小説に負っている、というのがわたしの持論(私小説、実話怪談ともに我が邦で畸形的な発達を遂げてきたジャンルである)なのだが、本書巻頭の「さとがえり」と題された一篇こそは、実話怪談が私小説へと里帰りした幸福な物語ではないだろうか。
自身の薄明の記憶をさかのぼり、夢と現、虚構と現実のあわいに遊ぶノスタルジックな世界観は、フッサールの現象学や精神病理学、華厳経の知識に基づいて、生まれ育った盛岡、弘前の思い出を美しく描いた石上玄一郎の諸作や、日本民俗学の始祖・柳田國男のあのナイーヴな自伝『故郷七十年』にも比肩し得る。まさしく風味絶佳。
そういうわけで、本書に収録されたその他の作品には、ほとんど手をつけずに筆を置く。この話がよかった、あの話が好き、と盛り上がるのは怪談本の醍醐味のひとつにちがいないけれど、それとはまた異なるかたちの、実話怪談と他ジャンルとを横断乃至架橋するようなレビューを模索していたのだ。というのも、川奈氏ほど強烈な個性と筆力を兼ね備えた方の著作を、実話怪談というお世辞にも広いとは言い難い世界の言語で語り尽くせるとは、到底、思えなかったから。
すでにして古典の趣を感じさせる、とてもいい怪談本だった。
