悲鳴窟

怪談その他

【腐茸会 活動報告】『ピェール 黙示録よりも深く』読書会

【課題】ハーマン・メルヴィル/牧野有通訳『ピェール 黙示録よりも深く』(幻戯書房
【日時】2023年4月22日(土)12:30〜17:00
【場所】喫茶室ルノアール新宿役所横店 
【参加】7名

数年ぶりの対面読書会、しかも課題本が課題本なのでどうなることかと思っていました。

が、蓋を開けてみれば一人では得られない発見が多くあり、上下巻¥8000となかなか手に取りにくいお値段ではあるものの、だからこそ思いっきり楽しんでやるぜという、参加メンバー裂帛の気合いを感じました。あなたたちは尊い

以下、会ではこんな意見が出ました。

・小説としてのイベントは少なめ。若者が懊悩し出すと解説おじさん(語り手)が何事かをツッコんでいく構成。
・クズ長男文学としてなかなか奮っている。ピェールもうちょいちゃんとせえ。
・冒頭、超絶主義(エマソンとかソローとか)の人として立ち現れたピェールが暗黒ロマン主義ホーソーンメルヴィルその人)に堕ちていく過程を描いている。
・ビルドゥングス・ロマン的導入からイザベルの登場後は一転、成熟に抗うかのような生き方を選び取っていく(メンターとなる父的人物の否定)。
・ありとあらゆる規範(主にキリスト教的価値観)と百人組手をしていく小説。
・手紙、顔、自然など多くの事物が「読む」べき対象として提示された次の瞬間、「読めない」ものとして反転してしまう。要するに極めて表層的、記号的な小説であって、各々の登場人物が「読めない」ものから勝手に意味を読み取り、充填していくことで物語が駆動していく。そのため「黙示録よりも深く」という副題(原題はThe Ambiguities=曖昧性、両義性)はあまりハマっていないのでは?
・単純なものが曖昧なものにとらわれることで破滅していくという構造は遺作『ビリー・バッド』にも共通している。ただ『ピェール』の場合、彼の周辺人物が軒並み不幸になっているからすごい。全員破滅させている。
・母を姉に、姉を妻に、婚約者を従姉妹にというように、関係の偽装(pretend)のモチーフが反復される。ピェールとグレンの関係もそうだが、役割の交換可能性が幾度も描かれることで、唯一性がどんどん揺らいでいく。
キリスト教に対する批判がメインだが、参照される引用としてはギリシア系が多い。また人名「ピェール(Pierre)」の語源はギリシア語で「石」。神々との戦に負けて火山を背負わされた巨人エンケラダスに自分を仮託するピェールには、常に「石」のイメージがつきまとう。同時にイザベルの顔が石化の瞳を持つ妖女ゴーゴンになぞらえられていることも示唆的。
・プリンリモンの存在はわりと謎だが、イザベルとほぼ同様、彼の顔について殊更に「神秘性」が謳われている箇所がポイント。神秘性のヴェールを剥がされたイザベルは、実のところ、単に幼いだけの女性であり、そうであってみればイザベルと対置されるプリンリモンもおそらくは中身のない人物なのではないか?
・物語後半、ルーシーが都会に出てきたあたりからイザベルの神秘性が急速に失われ、俗っぽくなる(相対化?)。というかルーシーは再登場時にキャラ変わりすぎでは? イザベルにも言えることだが、女性の内面を描く描写がないので、なにを考えているかよくわからない(メルヴィル自身は女性読者ウケもいいにちがいない!と思っていたらしいが……)。
・「イザベルが本当の姉なのか?」という問題は『白鯨』における「エイハブ船長の足を食いちぎったのはモービィ・ディックだったのか?」という問題に通じる。白鯨=モービィ・ディックであるという妄念=物語によって破滅へと導かれていくエイハブとピェールは多くの面で二重写しになる。曖昧に配置された点と点を線で結び、意味をつなげていくことの批判になっている。19世紀に書かれたとは思えないほど現代的な小説。
・最終章では2のモチーフが頻出する。また全編通して演劇的な台詞回しが多いため、上演してみてもおもしろそう。
・実は笑える箇所も多い。イザベルという神秘、ピェールの全集本目次、膨張ワンダーランド社、ドナルド・マック・ドナルド……etc。

上巻の特に前半部分はかなりキツかったけど、後半になるにつれてきちんと小説的な盛り上がりも見せてくれるので、リーダビリティはそこまで低くなかったかな、という印象です。
それぞれの多様な読み方が多く開陳され、脳の回路が開きまくる実に貴重な会でした。参加者の皆様、あらためてありがとうございます。

次回の課題本と日時は決まり次第、またTwitterにて告知します。
カリブ海文学か中上健次の気運が高まっているので、どちらかかな?