【怪談私小説】嫌な男

友人の植木屋と居酒屋に入った。ざっかけない接客が心地良く、刺身が美味い。ちょっとおもしろい日本酒の品揃えも気に入っていて、月に一、二回は顔を出す。
植木屋は最近、仕事関係でちょっと不思議な体験をしたという。酒を飲ませて、それを聞き出すつもりだったのだ。
一杯目を注文しおしぼりで顔を拭いていると、アルバイトのリサちゃんが妙な目配せをしているのに気づいた。
「あの人いるよ、加納さん」
飲み物を運んでくるついでに、ぼそっとそう呟いた。
わたしは舌打ちした。嫌なやつが来ているな。そう思ったのだ。
加納というのは、以前、知人の紹介で実話怪談のネタをいくつか提供してくれた男である。自分よりも十かそこらは歳上のはずだが、凡そ定職というものに就いている気配がない。年がら年中、パチンコですったとかソープでハズレだったとか、そんな話ばかりしている。
それは別にいい。
問題は加納が、年端もいかない子供に対して性的欲望をおぼえる男である点だ。
半年ほど前、同じ酒場で酩酊した彼が、
「ぼくは小さい女の子が好きっ。男の子も」
などとはしゃぎ出したことがある。一応年長者だし、ネタを提供してもらった引け目もあるから、最初のうちは「だめだめ」と控えめに止めていたものの、図に乗った加納はあたり構わず大声で喚き続け、醜態を晒した。
「おれは、小さい子が大好きっ。虐めたい。リョージョクしたい。なんだお前はっ。作家だなんて威張りくさって。数珠つなぐような商売のくせして」
加納は酔うと顔中に蕁麻疹みたいな赤い点々が浮き上がる。大きく開いた鼻の穴から、真っ白な鼻毛がのぞいていた。
それを見ていたら、いい加減、ムカついてきた。当方にも四つの娘がいるのである。それがこんな男の濁った性欲の対象になっているのかと考えると、喉の奥に舌が落ち込んでいくような怒りをおぼえた。わなわなと手が震えた。
「殺してやるから表に出ろっ」
わたしは立ち上がり、店の出入口を指差した。吃りが出かけて、自己嫌悪に陥った。
怒鳴られた加納は、さっきまでとは打って変わり、卑屈な笑みを浮かべてこちらを見上げていた。「冗談なのに」とでも言いたげな表情をまとわせていたが、散々騒いだ挙句、他の客にもうっすらと絡み酒をしていたこともあり、いたたまれなくなったのだろう。こちらに聞こえない程度の声量で文句を言いながら、店を出ていった。
それ以来、連絡はとっていない。
「河岸を替えようか」
わたしは言って、運ばれてきたビールを急いで飲み干した。植木屋にもやはり三つになる娘がいるのである。特に説明はしなかったけれど、なにかを察したらしく、彼も黙ってグラスを空にした。
それで結局、二駅ほど離れた別の店に移動した。以前までは落ち着いた雰囲気だったのに、ひさしぶりに行ってみたら、法被を着たキンキン声の女の子たちがテーブル間を飛び交う、やかましい店になっていて閉口した。
「奥の席に変なのがいるぜ」
便所から戻ってきた植木屋が言った。酸っぱいものでも食べたような顔をしている。
聞けば、髑髏柄のシャツを着た小肥りの中年男で、誰もいない壁に向かって、一人何事かを語りかけているのだという。
便所の順番待ちのふりをして独言に耳を傾けると、呪われた猿のぬいぐるみが毎晩夢に出てくるとか、首吊り自殺をした妻らしき人影が家の中を踊りながら移動しているとか、そんな不気味な内容だったらしい。
「怪談師のたまごが練習でもしてたのかな。知り合いじゃあないの?」
植木屋は半笑いでレモンサワーを口に運んだ。
わたしは戦慄した。それは加納じゃないか。外見の特徴からも、間違いない気がした。髑髏柄とか茸柄とか、そういうセンスのないシャツを好んで着る男なのだ。
すると加納は、さっきの店からわたしたちの跡をつけてきたのだろうか。偶然とは考え難いから、きっとそうだろう。だとすれば、目的はなんだ? わたしとの和解か、あるいはお門違いな報復をする算段でもしているのか。後者なら恐ろしいが、あんな男になにができるという侮りもあった。わたしは席を立ち、店奥の便所に向かった。
植木屋の言っていた席に、加納の姿はなかった。
ただ金髪に豹柄の服を着た派手な老女が、空のビールジョッキを片手に、まるで誰かの話に相槌を打つように、うんうんと首を上下させていた。老女は眠っているようだった。
便所の扉を開け、小便器の前に立つ。『いい男は一歩前へ』とかなんとかくだらない文言を連ねた貼り紙の余白に、鉛筆で小さく『男の子も好き♡』と書いてあった。植木屋とは二時間ばかり映画の話をして別れた。怪談は聞けずじまいだった。
「あのね、こないだのあれ、勘違いだった」
後日、駅で偶然顔を合わせたリサちゃんからそう言われた。
「あれってなに?」
「加納さんのこと。あの人、死んだんだって」
植木屋と飲んだ日の一週間ほど前に、加納は都内のラブホテルで変死を遂げていた。チェックアウトの時刻になっても音沙汰ないのを不審に思った従業員が中をのぞくと、加納はベッドの上で事切れていた。全裸だった。
加納の口中には、今はもうそうしたプレイでしか用いられることのない女性用ショートパンツ、いわゆるブルマーがぎちぎちに詰め込んであったらしい。
警察が防犯カメラを確認したところ、加納は一人でチェックインしており、部屋から性的サービスを頼んだ形跡もなかった。要するに自分で自分の口の中にブルマーを突っ込んで窒息死したわけだが、一体全体どうしてそんなことをしたんだかわからない。
「だからあの日、店にいたはずないんだよね。わたし、誰かと勘違いしたんだと思う」
リサちゃんの目が泳いでいた。
「どこにでもいる顔だから」
とわたしは話を合わせたものの、そうそう見間違えるような外見でないことはよくわかっていた。
翌日、わたしは永田町の国立国会図書館に赴き、過去の新聞記事を閲覧した。すると、たしかにそのような事件があったことがわかって、リサちゃんの言葉が真実であると証明された。以下、その全文を掲載する。
〈都内ホテルで異物詰まらせ男性不審死、殺人の疑いも
二十一日午後三時四十五分頃、東京都豊島区のホテルから「男性が異物を喉に詰まらせ倒れている」と警察に通報があった。
警察によると、見つかったのは住所不定無職の男性(五二)で、搬送先の病院で死亡が確認された。死因は女性用下着が喉に詰まったことによる窒息死で、警察は事件性もあるとみて捜査している。〉(『朝日新聞』夕刊、令和五年四月二十二日)
記事内では窒息死の原因となった異物が「女性用下着」とされ、またこの時点では他殺の線も疑われていたようだ。この後、事件に関する続報はどの新聞を参照しても見当たらない。加納のことに相違あるまい。
わたしはコピーした記事を折り畳んで手帳に挟んでいたが、友人の結婚祝いの席で意識を失うほど泥酔し、手帳ごと紛失してしまった。だから、先の引用はわたしの記憶に基づく再現である。
以来、しばらくの間、わたしのアドレス宛におかしなメールが届いた。
それは着用済みの下着、ソックス、ブルマーなどを販売する個人業者からのもので、わたしはSNSのプロフィール欄にもアドレスを掲載しているから、そんなメールが届くこと自体に不思議はない。
しかしそこに添付されていた画像に写っていたのは、女性用下着やブルマーを着て、あられもないポーズをとる太った男(顔にはモザイクがかかっていた)の姿であり、今はもう迷惑メール設定にしてしまったが、ひょっとするとまだ届き続けているかもしれない。