悲鳴窟

怪談その他

【バスタオル亭日乗】2026年8月4日(火)

夕方からFM東京にてラジオ収録があるのだが、喉の調子が悪く、昼頃からずっと龍角散喉飴を舐めて過ごす。龍角散喉飴とペラックT錠には全幅の信頼を置いている。

 

ひさびさに怪談を話す。ひさびさすぎて怪談の話し方を忘れていて困ったけれど、楽しかったです。

 

帰宅後、体調が悪化。熱はないが倦怠感がひどい。ニラと鶏肉を入れた雑炊を食べる。リポビタンDを飲む。厚手のパジャマに着替えて全身を毛布でぐるぐる巻きにして寝る。ちゃんと風邪らしきものを引いたのは2年ぶりくらいかもしれない。熱はまだ出ていないので、このまま上手いこと治ってほしい。

 

昨日に引き続き、バレイジを読む。どの話も良い。「ブローディーン荘」に出てくるゆうれいの描写〈紙を人の形に切って掲げたかのように、影がくっきりと浮かんだ〉このあたりは黒沢清のゆうれい表現にも一脈通じるなあ、と。

【バスタオル亭日乗】2026年8月3日(月)

8月に入ったことを信じたくないので、7月のつもりで仕事をしている。

ひさびさにエアコンをつけなくても生きていける気候。今週は打ち合わせが3本あって準備しないとなのだけれど、打ち合わせって字面だけ見ると結構暴力的だよなあ、と思った。


植草昌実編訳『A.M.バレイジ怪談傑作集 誰かがいる部屋』(新紀元社)を読む。どの話も良いなあ、とニコニコしてしまう。表題作、ゆうれいを見てしまった感じの悪い夫人が、恐怖のあまりゆうれいを殴りつける場面の描写が素晴らしい。以下、引用。


その瞬間、ジョーンは正気を失った。目の前の恐怖に掴みかかったが、手応えはなかった。うつ伏せの頭を繰り返し繰り返し、枕で叩いた。それは床にずり落ちて形を失い、日差しを受けた霧のようにゆっくりと消えていった。


アニメ『鉄鍋のジャン!』第5話を観る。マジックマッシュルーム回。これ1シーズンで終わらせるのもったいないなあ。わたしに生きる希望をくれ続けてくれ。


昼も夜も適当に焼いた肉を適当な野菜と混ぜたものをごはんに載せて食べる。

【バスタオル亭日乗】2026年8月2日(日)

那須かどこかの高原にある宿に泊まっていて、たばこを吸いにテラスに出たらそこで父がカレーライスを食べていた。「五目みたいで美味えな」と言うのでなんのことかと思ったら、カレーに具がごろごろとたくさん入っていて美味しい、ということらしい。あれっ? この人死んだのにな、ともならずに、少しなにか言葉を交わした気がする。目醒めてしばらくは寝室に夢の気配が残っていた。


朝風呂に入りながら『フェイクドキュメンタリーQ』「リエコ」を観る。特段、感心はしなかった。


アンソロジー『その他の危険』(新潮文庫)を読む。ぜんたいに高クオリティな短篇集。

特におもしろかったのは、斜線堂有紀「涸渇」と皮肉屋文庫「したたりの宮」。

前者は人体裏返し小説(そういうジャンルがあるのです)の傑作。斜線堂さんの作品に触れたのは初めてだが、すごい筆力の方とお見受けした。今後ちゃんと追っていきたい。

後者は一種のセカイ系百合ホラーというべきで、キャラクター造形や蘊蓄の絡ませ方が実に巧み。なにより文章が素晴らしく、ひとつひとつの表現にいちいち感嘆してしまった。


昨晩、酒を飲みながらダラダラとXにポストをしていたところ、オオタケさんとひさびさに飲もうという話になり、さっそく日取りまで決まる。卯ちりさんも誘った。オオタケさんのほうでも仲良しのお友だちを一人連れてくるというので、楽しい会になりそうだ。全員が喫煙者だから、誰に遠慮することもなく、バカスカとたばこを吸える。ヤニカス会と名づけよう。


保険に関する相談があると言われ、実家に顔を出す。話自体は一時間ほどで済み、その後は半分寝ながら本を読む。お昼は冷やし中華。夕飯は母と外食。ビール、ワインを飲む。

【バスタオル亭日乗】2026年8月1日(土)

8月に至ってしまった。腰を据えねてやらねばならないことが山積している。腰がいくつあっても足りない。ドンキで買ってこよう。

 

朝のそぞろ歩き中、近所にある鈴木信太郎記念館の鈴木信太郎って、プルースト『失われた時を求めて』の完訳を果たした鈴木道彦のお父さんだったんだ、と知る。もう何百回と前を通っているのに。ボーッと生きすぎである。

 

宝島社さんから『このホラーがすごい! 2026年度版』の原稿料が入金されていた。早速、池袋ジュンク堂に本を買いに行く。本を書いてお金を得たら、それ以上に本を買わなければならない。これはモズフレ・黒史郎さんから学んだスタンス。買ったのは以下の四冊で、気づいたら全部怪談ホラー関係だった。

 

・小池壮彦著/朝宮運河編『怪奇の断片 怪奇探偵・小池壮彦ルポルタージュ傑作選』(二見書房)

・A.M.バレイジ/植草昌実編訳『誰かがいる部屋』(新紀元社)

・福澤徹三『いわくつき 日本怪奇物件』(ハルキ文庫)

・アンソロジー『その他の危険』(新潮文庫)

 

ここ数日読んでいた東亮太さんの『こわいハコ』(KADOKAWA)を読み終えた。後半はほとんど一気読み。ずっと楽しみにしていて発売日前日に神保町の書泉グランデでフラゲしていたのに、なかなか読む時間を作れなかった。最近はお仕事で読む本が増えてきてそれはそれでうれしいし勉強になるのだけれど、二十代の頃のいい加減な読書生活が懐かったりもする。

『こわいハコ』はとてもおもしろかった。あらすじは省くが、すべてのエピソードが実に凶悪で、予想の3倍くらいひどいことが起きる。構造というかモキュメンタリーとしての建て付けも見事というほかなく、結構複雑な枠物語のはずなのに、ぐいぐい読ませる。怪談好き、妖怪好きはとうぜん必読。

LINEでかぁなっきさんとも話したのだけれど、ここ数ヶ月は特に出色というべきホラー作品が多く出版されている気がする。いいぞもっとやれ。

 

Xにて、朱雀門出さんや黒史郎さんと人体が裏返る話で盛り上がる。人体裏返し界隈は存在する。わたしは以前「モズマの恋」という掌編をもう書いてしまったが、いずれもっとバリバリと人体が裏返る話を書いてもいいな、と思っている。

 

お昼は池袋の天成で天丼。暑かったので瓶ビールも入れる。ここの天丼はタレ甘め、衣薄めでわたし好み。週一くらいで食べたい味。

夜は冷蔵庫でキンキンに冷やしたピーマンに肉味噌を載せたもの、冷奴にキムチと納豆を載せたものを食す。飲酒。

【バスタオル亭日乗】2026年7月31日(金)

朝、寝ぼけていたのか、朝宮運河さん、倉野憲比古さんとのLINEグループに「塩辛とかも止めないとずっと食べてるからね」という不穏な誤爆をしてしまう。この人はよほど塩辛が好きなんだな、そんなにずっと食べていてからだは大丈夫かな、という不安を与えてしまったことだろう。申し訳ない。

 

木下龍也さんの新刊『日記の舌』(ナナロク社)をご恵投いただく。

先日の朝宮さんのポストを拝見し、ホラー、怪談関係の話題が多い、ということは知っていたが、これはおどろき。予想の遥か上をいく。当方なんかより明らかにホラー、怪談を摂取されているし考えている。途中まで読んだところでふと思いつき、ホラー、怪談関係の話題が出てくる箇所に付箋を貼っていったら、すごいことになってしまった。自分の名前が出てくるくだりにはちがう色の付箋を貼った。うれしかったから。

読みながら元気をもらい、自分も日記を書いてみるかな、となり、いま書いている。SNSの「早いことば」みたいなものにちょうど疲弊しつつあったし。

木下さんとは以前、対談でお世話になり、その後も舞城王太郎『完本 深夜百太郎』(ナナロク社)の刊行トークイベント(著者不在)をご一緒させていただいた。対談のときにはお土産にとソーキそばをくださり、ソーキそばなんてのは当方の好きな食べものランキング20位圏内にはたぶん入ってるので、なんて良い人なんだろう、と思ったのだった。無論、美味しくいただいた。

先日の春日武彦先生とのイベント以来、その人の恐怖のツボがふと垣間見える瞬間に敏感になっており、『日記の舌』を読みながらもそういうポイントを探してしまう。見つけるたび、また別の色の付箋を貼る。うふふ、と笑う。

 

30枚ほど書いたとある短篇小説を、先日、あまりに切りが良いところで中断してしまったため、再開に時間がかかる。自分の場合、原稿を翌日も続けるには、センテンスの途中くらいでぶっつり放置しておいたほうがいい。経験上そうとわかってはいても、たまにこういうポカをする。ノッてきたなあ、というときほどやりがち。しかたないからこれまで書いたものをぼんやり読み返し、細かな表現を足したり引いたりした。プラマイほぼゼロ。不毛だ、とあきれる。

 

お昼、ごはんを炊いたのを忘れてカップヌードルを食べてしまう。

夕飯は長谷川あかりさんの薬味たっぷり出汁カレーをひさびさに作る。長谷川あかりさんのレシピにはどれもミニマリズム・アートの趣きがあるけれど、このカレーはとりわけ芸術点が高いように思われる。

【劇評】『現像 世田谷区桜上水09.2024』

先日、桜上水の古民家で行われた松尾裕樹&丸山港都の演劇作品『現像 世田谷区桜上水09.2024』を観てきた。

www.genzou.art


脚本、演出を手掛ける松尾さん、俳優の丸山さんとは前作『バーン・ザ・ハウス』のアフタートークに呼んでいただいてからのご縁で、昨年には自分の起こした実話怪談をイベントで朗読してもらったりもした。
『バーン・ザ・ハウス』もまたホラーをテーマにした作品ではあったものの、どちらかといえば祝祭的な側面が強かったように思う。ホラー、ゴシックという枠組みを借りたお祭り騒ぎというか。ただし今作『現像』はホラーというよりは明らかに怪談を志向した作品であって、怪談を書く者としてより深く興趣をそそられた。

物語の筋は至って単純である。姉と二人の子供が姿を消した一軒家を弟(以下、語り手と表記する)が訪れる。物語は終始、この語り手の言葉と身振りを介してのみ観客に伝達され、他の登場人物は一切登場しない。
語り手は姉の失踪をなんらかの人外の力によるものと考えているらしい。語り手は観客に向かって事の次第を説明しつつ、何者かを呼び出すための儀式を行なっているようだ(このくだりはスクエアやひとりかくれんぼといった降霊術を髣髴させもする)。
姉は失踪する直前まで、部屋の片隅に設置したビデオカメラで家の様子を撮影し続けており、語り手は当時の状況を再現するとの名目で、自分自身の様子を同じカメラにて撮影、彼の姿は部屋奥にあるテレビにリアルタイムで映し出される。

再現、というのがこの演劇作品を駆動させる大きな力だ。語り手は義兄や姉の友人、果ては子供たちとのやりとりまでをただひとりの言葉と身振りによって再現しようとする。そのさまは相当に執拗というか端的に狂気を孕んでおり、語り手は、いま・ここに過去をダブらせることで、不在のなにかを召喚しようと試みているらしい。
この再現は頻繁に反復され、またひとつの再現にかかる時間も決して短くない。いま語り手が演じているのが現在の彼自身であるのか、あるいはまた過去の再現であるのか、その人称と時制を見分けることは意外にも難しい。演じるという行為そのものが巧妙にダブらされているからだ。
ダブるといえば、斯様な「ふり」の仕草に没頭する語り手の一挙手一投足は、先述したとおり、ビデオカメラによって絶えず撮影され、テレビ画面に映される。観客であるわたしたちはここでもダブった世界を見せつけられているわけだ。言うなればこの作品は、時間、空間、人称といった、わたしたちが物語に没入するための要件を幾重にもダブらせ、語りの審級に揺さぶりをかけてくるのである。
物語が進むにつれ、語り手は当初わたしたちに見せていた姿とは別の顔を露呈させる。けれどこの点についても、いわゆる信頼できない語り手というふうに理解するよりは、意識的無意識的なダブりの氾濫によって、少しずつその個性を変容させてしまっていると考えたほうがいいかもしれない。

ダブる、すなわち同時に同じという事態は実存への不安をもたらす。日本語で影の病といい、ドイツ語で二重に歩く者と呼ばれる現象は、体験者の主体を同一性を狂わせ死に導くものだし、かつての民俗社会においては、双子の誕生は忌むべきものとされた。
『現像』はこのような同時に同じ要素を執拗に反復することで観客を眩惑し、いま・ここへの不安を煽りたてる。これには尋常の演劇に比べて、演者との距離が近いことも一役買っているだろう。
ある箇所で語り手はビデオカメラを手に、家中を歩きはじめる。無論、観客の目の前から語り手の姿は消えるが、先述したようにカメラの映像はリアルタイムでテレビに映し出されるから、ここでは語り手と観客の視点すらもダブることになる。一人称視点のゲームをプレイしているような感覚だ。
なのだが、観客との同一化といってもよいこうした体験を経て、あらためて観客の前に姿を現した語り手は、以前までの彼とは明らかな変容を遂げている。いま・ここでの同時に同じから引き剥がされ、なにかまったく別の存在となった語り手は、クライマックスにおいて、ある意味で物語の重力から解き放たれていくのだが、その瞬間は間違いなく、本作中で最もおそろしい場面になっている。

怪談の怖さとは、世界の見え方が不可逆な変容をきたすことではないか。怪異の体験を通して世界の構造の複雑さに直面することで、これまで壁の模様と見えていたものが実際にはびっしりとこびりついた羽虫の死骸であると気づくような。その意味で『現像』は、作中人物のみならず観客であるわたしたちへの変容までをも迫る作品だといえる。番茶臭い日常の背後には、語り得ない暗黒が広がっており、それに気づいたが最後、わたしたちはもう以前のわたしには戻れないのである。

【怪談私小説】生きるも死ぬもない女

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当方は東京都墨田区旧寺島村の生まれであって、その三神社であるところの白髭神社、高木神社、長浦神社のいずれの例大祭にも幼少期から慣れ親しんでいる。父はそのうち白髭神社の氏子総代を務めたことがあり、今も実家では神輿巡幸の「セッタイ」をする。要するに、担ぎ手たちを酒や菓子で以てもてなす休憩所の役割を担っているのである。
白髭神社は氏子組織のことを「図子(ずし)」と称す。我が家は八雲図子という図子に属し、だからなのか昨年、八雲忌(小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの命日)である九月二十一日に、怪談に関するトークイベントを行うことになった。
その際、ゲストとして招かれたのが、墨東地域の歴史に詳しい作家のS氏と、わたし蛙坂であった。
イベントは墨東地域にまつわる怪談をS氏とわたしがいくつか披露した後、当地に残る伝承や怪談に関する対談という流れで進行していった。
ぼちぼちイベントも終盤に差しかかった頃、客席最前列に座っていた女性が不意に手を上げ、発言を求めた。
「おふたりは、死んでも生きている女の伝説をご存知ですか?」
S氏とわたしは顔を見合わせた。あいにくそんな話は聞いたことがない。
「あ、すみません、大丈夫です」
我々の困惑を察したのか、女性はすぐに引き下がった。
が、イベント後の打ち上げの席で、ひとりの女がスーッと音もなく近づいてきて、わたしの隣に腰掛けた。
「さっきの話の続き、聞きたいですか?」
わたしは無論「はい」と答えたはずだが、その後の記憶が混濁している。そもそもそのときわたしにすり寄ってきた女は、イベントで挙手した女とは、年齢も背格好もまったくの別人だったような気がしてならない。
後日、わたしは友人のペロ子と新宿アルタ前で待ち合わせをしていた。
ペロ子にはいわゆる霊感らしき能力があり、その日は彼女にここ数ヶ月以内に入手した心霊写真の鑑定をしてもらう予定だったのだ。
もっとも、わたしは基本的に幽霊を信じていない。心霊写真なんてものも眉唾と思っているが、それはそれとして、ペロ子の鑑定はおもしろい。一聴の価値がある。写真に収められた幽霊(らしきもの)が生前辿った来し方はもちろんのこと、撮影者の性格や外見的特徴までをもピタリと言い当てるのだ。
ペロ子はうんこでも踏んだような顔をして待ち合わせ場所に現れた。
「ひょっとして、なんか女と揉めてる?」
彼女曰く、横断歩道の向こう側からわたしを認めたとき、空気のような雰囲気の女がもたれかかっているのが見えたという。
「あ、この女だ」
アイスティーを飲みながらタブレットの画面に映し出される心霊写真を眺めていたペロ子が言った。
それは二、三日前に知人から送られてきた写真で、その日持ってきた中でも特に薄気味悪いものだった。どこかの山中で撮影されたもので、被写体は若い男。登山服に身を包み、カメラに向けダブルピースを作る男の背後には、ブナと見られる巨木の幹があり、その右後方、数メートル離れたところにナップザックを背負った女の後ろ姿が写り込んでいる。
今後ろ姿と書いたが、奇妙なのはその女がこちらを向いて笑っている点だ。つまりは、首から上だけが百八十度捻れているのである。心霊写真にしてはあまりにはっきりしすぎているが、見ていて不安をおぼえる一枚だった。
「さっきスミちゃんの横にいたの、この女だよ」
「幽霊?」
「死んではいるね。何度も死んでる。脳も内臓も半分ないし。でも幽霊じゃない。死んでも生きてる女。それ以上は、ちょっとわかんない」
グラスを持つ手が震えていた。ペロ子のそんな慄きに接するのは、はじめてのことである。
わたしはイベントで見かけたひとり乃至ふたりの女のことを思い出していた。きっとなにか、かかわりがあるにちがいない。どこかで自分は、全体像のわからないパズルのピースを拾ってしまったのだ。S氏に連絡せねばと思った。
ペロ子と別れたその足で、千住大橋近くに位置するS氏の事務所に向かった。事務所といっても印刷所の二階をそれらしく改装したスペースで、S氏は専らそこを、人妻編集者との逢引きに使っていた。人妻編集者はわたしの担当だったこともあり顔を合わせたら気まずいのだけれど、この際、四の五の言ってはいられない。
「変な女につきまとわれているんですよ」
少し痩せたように見えるS氏は言いながら、刑事ドラマでよくするように、窓のブラインドを指でちょいと下げてみせた。
「ほら、あそこにいるでしょう?」
同じようにして窓の外を見ると、道を挟んで向かいの駐車場の隅に、なるほど女らしき人影がいた。女は停めてあるトラックの陰に身を潜めるようにして立っているが、角度が悪いため、ここからでは目鼻立ちもうかがえない。
「いつからですか?」
「たぶんだけど、あのイベントの直後からです。それとは別に、彼女とのことが夫にバレました。もう会えないと泣きながら電話をしてきて。訴訟されたらと考えると、僕は夜も眠れない。元妻への慰謝料と養育費の支払いもあるし、変な女にはつきまとわれるし」
ため息を吐いたかと思うと、S氏はいきなり部屋の壁を蹴りつけた。ものすごい音がして壁に穴があいた。わたしは、もう帰ろうと思った。
事務所を出て駐車場のほうを見たら、女はまだ同じ位置に立っていた。わたしはそちらに近づいていった。女は逃げも隠れもしなかった。当たり前だ。それは風雨に晒された清涼飲料水のポスターだった。健康的な笑顔を貼りつけた美しすぎる女が、その視線を虚空に彷徨わせていた。わたしは事務所の窓を見上げた。ブラインドの向こうで、S氏が息を潜めている気がした。
「この写真、ちょっとおかしいんだけど」
夕飯の席で、妻がスマホを見せてきた。
それはつい先日、友人夫妻と子連れで新宿御苑に遊んだときの写真で、その中の、わたしが写っているものにだけ奇妙なハレーションがかかっていた。いくつかの写真では光の筋に女の横顔らしきものが浮かび上がっており、わたしにはそれがS氏と関係している編集者によく似ているように思われた。
「浮気でもしてるの?」
「いやちがう、それはおれの話じゃない」とわたしは叫びたかった。しかし詳しい説明をする気が起きず、知らぬ存ぜぬを突き通した。写真は一枚残らず削除させた。
半月ほど経った頃、とあるアンソロジーの寄稿依頼が来た。急なことで申し訳ないが、一週間で二十枚の原稿をお願いしたい、と平身低頭され、瀉血でもするようにして書き上げた。そんなことは珍しくもないのですぐに忘れてしまったものの、ある席で、その原稿がS氏の埋め草だったことを知った。S氏は、原稿を飛ばして行方知れずになっているらしいのだ。
「同じ時期に、Kさんとも連絡がつかなくなったそうですよ」
事情通の知人からそう聞いた。Kさんは、S氏と関係していた編集者である。編集部では寄せ鍋をひっくり返したような大騒ぎになっているようで、警察に捜索願いまで出したのだとか。
暮れも押し迫った頃、わたしはひさびさに実家に顔を出した。せっかくだから外食でもという話になり、懇意にしている中華料理屋に行くと、隣の席にどこかで見た顔の女がいた。女のほうでも、こちらをうかがっている様子である。
記憶の糸を必死に手繰っていたら、そのうちにやっと思い出した。
あのイベントの最中、死んでも生きている女のことを訊ねてきた女だった。
あっ、と思って立ち上がった。女はちょうど会計を済ませたところだった。わたしはあわてて女の後を追い、店の外に出た。女は車道を爆走していた。とても人間とは思えない速度で、車と車の間を縫って走っていた。
「なんだあの女、生きてる人間じゃねえっ」
近くを歩いていた若い男が叫んでそちらにスマホを向けたが、そのときにはもう女の姿は影もかたちもなかった。
死んでる人間の動きでもないよ、とわたしは思った。