悲鳴窟

怪談その他

【劇評】『現像 世田谷区桜上水09.2024』

先日、桜上水の古民家で行われた松尾裕樹&丸山港都の演劇作品『現像 世田谷区桜上水09.2024』を観てきた。

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脚本、演出を手掛ける松尾さん、俳優の丸山さんとは前作『バーン・ザ・ハウス』のアフタートークに呼んでいただいてからのご縁で、昨年には自分の起こした実話怪談をイベントで朗読してもらったりもした。
『バーン・ザ・ハウス』もまたホラーをテーマにした作品ではあったものの、どちらかといえば祝祭的な側面が強かったように思う。ホラー、ゴシックという枠組みを借りたお祭り騒ぎというか。ただし今作『現像』はホラーというよりは明らかに怪談を志向した作品であって、怪談を書く者としてより深く興趣をそそられた。

物語の筋は至って単純である。姉と二人の子供が姿を消した一軒家を弟(以下、語り手と表記する)が訪れる。物語は終始、この語り手の言葉と身振りを介してのみ観客に伝達され、他の登場人物は一切登場しない。
語り手は姉の失踪をなんらかの人外の力によるものと考えているらしい。語り手は観客に向かって事の次第を説明しつつ、何者かを呼び出すための儀式を行なっているようだ(このくだりはスクエアやひとりかくれんぼといった降霊術を髣髴させもする)。
姉は失踪する直前まで、部屋の片隅に設置したビデオカメラで家の様子を撮影し続けており、語り手は当時の状況を再現するとの名目で、自分自身の様子を同じカメラにて撮影、彼の姿は部屋奥にあるテレビにリアルタイムで映し出される。

再現、というのがこの演劇作品を駆動させる大きな力だ。語り手は義兄や姉の友人、果ては子供たちとのやりとりまでをただひとりの言葉と身振りによって再現しようとする。そのさまは相当に執拗というか端的に狂気を孕んでおり、語り手は、いま・ここに過去をダブらせることで、不在のなにかを召喚しようと試みているらしい。
この再現は頻繁に反復され、またひとつの再現にかかる時間も決して短くない。いま語り手が演じているのが現在の彼自身であるのか、あるいはまた過去の再現であるのか、その人称と時制を見分けることは意外にも難しい。演じるという行為そのものが巧妙にダブらされているからだ。
ダブるといえば、斯様な「ふり」の仕草に没頭する語り手の一挙手一投足は、先述したとおり、ビデオカメラによって絶えず撮影され、テレビ画面に映される。観客であるわたしたちはここでもダブった世界を見せつけられているわけだ。言うなればこの作品は、時間、空間、人称といった、わたしたちが物語に没入するための要件を幾重にもダブらせ、語りの審級に揺さぶりをかけてくるのである。
物語が進むにつれ、語り手は当初わたしたちに見せていた姿とは別の顔を露呈させる。けれどこの点についても、いわゆる信頼できない語り手というふうに理解するよりは、意識的無意識的なダブりの氾濫によって、少しずつその個性を変容させてしまっていると考えたほうがいいかもしれない。

ダブる、すなわち同時に同じという事態は実存への不安をもたらす。日本語で影の病といい、ドイツ語で二重に歩く者と呼ばれる現象は、体験者の主体を同一性を狂わせ死に導くものだし、かつての民俗社会においては、双子の誕生は忌むべきものとされた。
『現像』はこのような同時に同じ要素を執拗に反復することで観客を眩惑し、いま・ここへの不安を煽りたてる。これには尋常の演劇に比べて、演者との距離が近いことも一役買っているだろう。
ある箇所で語り手はビデオカメラを手に、家中を歩きはじめる。無論、観客の目の前から語り手の姿は消えるが、先述したようにカメラの映像はリアルタイムでテレビに映し出されるから、ここでは語り手と観客の視点すらもダブることになる。一人称視点のゲームをプレイしているような感覚だ。
なのだが、観客との同一化といってもよいこうした体験を経て、あらためて観客の前に姿を現した語り手は、以前までの彼とは明らかな変容を遂げている。いま・ここでの同時に同じから引き剥がされ、なにかまったく別の存在となった語り手は、クライマックスにおいて、ある意味で物語の重力から解き放たれていくのだが、その瞬間は間違いなく、本作中で最もおそろしい場面になっている。

怪談の怖さとは、世界の見え方が不可逆な変容をきたすことではないか。怪異の体験を通して世界の構造の複雑さに直面することで、これまで壁の模様と見えていたものが実際にはびっしりとこびりついた羽虫の死骸であると気づくような。その意味で『現像』は、作中人物のみならず観客であるわたしたちへの変容までをも迫る作品だといえる。番茶臭い日常の背後には、語り得ない暗黒が広がっており、それに気づいたが最後、わたしたちはもう以前のわたしには戻れないのである。

【怪談私小説】生きるも死ぬもない女

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当方は東京都墨田区旧寺島村の生まれであって、その三神社であるところの白髭神社、高木神社、長浦神社のいずれの例大祭にも幼少期から慣れ親しんでいる。父はそのうち白髭神社の氏子総代を務めたことがあり、今も実家では神輿巡幸の「セッタイ」をする。要するに、担ぎ手たちを酒や菓子で以てもてなす休憩所の役割を担っているのである。
白髭神社は氏子組織のことを「図子(ずし)」と称す。我が家は八雲図子という図子に属し、だからなのか昨年、八雲忌(小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの命日)である九月二十一日に、怪談に関するトークイベントを行うことになった。
その際、ゲストとして招かれたのが、墨東地域の歴史に詳しい作家のS氏と、わたし蛙坂であった。
イベントは墨東地域にまつわる怪談をS氏とわたしがいくつか披露した後、当地に残る伝承や怪談に関する対談という流れで進行していった。
ぼちぼちイベントも終盤に差しかかった頃、客席最前列に座っていた女性が不意に手を上げ、発言を求めた。
「おふたりは、死んでも生きている女の伝説をご存知ですか?」
S氏とわたしは顔を見合わせた。あいにくそんな話は聞いたことがない。
「あ、すみません、大丈夫です」
我々の困惑を察したのか、女性はすぐに引き下がった。
が、イベント後の打ち上げの席で、ひとりの女がスーッと音もなく近づいてきて、わたしの隣に腰掛けた。
「さっきの話の続き、聞きたいですか?」
わたしは無論「はい」と答えたはずだが、その後の記憶が混濁している。そもそもそのときわたしにすり寄ってきた女は、イベントで挙手した女とは、年齢も背格好もまったくの別人だったような気がしてならない。
後日、わたしは友人のペロ子と新宿アルタ前で待ち合わせをしていた。
ペロ子にはいわゆる霊感らしき能力があり、その日は彼女にここ数ヶ月以内に入手した心霊写真の鑑定をしてもらう予定だったのだ。
もっとも、わたしは基本的に幽霊を信じていない。心霊写真なんてものも眉唾と思っているが、それはそれとして、ペロ子の鑑定はおもしろい。一聴の価値がある。写真に収められた幽霊(らしきもの)が生前辿った来し方はもちろんのこと、撮影者の性格や外見的特徴までをもピタリと言い当てるのだ。
ペロ子はうんこでも踏んだような顔をして待ち合わせ場所に現れた。
「ひょっとして、なんか女と揉めてる?」
彼女曰く、横断歩道の向こう側からわたしを認めたとき、空気のような雰囲気の女がもたれかかっているのが見えたという。
「あ、この女だ」
アイスティーを飲みながらタブレットの画面に映し出される心霊写真を眺めていたペロ子が言った。
それは二、三日前に知人から送られてきた写真で、その日持ってきた中でも特に薄気味悪いものだった。どこかの山中で撮影されたもので、被写体は若い男。登山服に身を包み、カメラに向けダブルピースを作る男の背後には、ブナと見られる巨木の幹があり、その右後方、数メートル離れたところにナップザックを背負った女の後ろ姿が写り込んでいる。
今後ろ姿と書いたが、奇妙なのはその女がこちらを向いて笑っている点だ。つまりは、首から上だけが百八十度捻れているのである。心霊写真にしてはあまりにはっきりしすぎているが、見ていて不安をおぼえる一枚だった。
「さっきスミちゃんの横にいたの、この女だよ」
「幽霊?」
「死んではいるね。何度も死んでる。脳も内臓も半分ないし。でも幽霊じゃない。死んでも生きてる女。それ以上は、ちょっとわかんない」
グラスを持つ手が震えていた。ペロ子のそんな慄きに接するのは、はじめてのことである。
わたしはイベントで見かけたひとり乃至ふたりの女のことを思い出していた。きっとなにか、かかわりがあるにちがいない。どこかで自分は、全体像のわからないパズルのピースを拾ってしまったのだ。S氏に連絡せねばと思った。
ペロ子と別れたその足で、千住大橋近くに位置するS氏の事務所に向かった。事務所といっても印刷所の二階をそれらしく改装したスペースで、S氏は専らそこを、人妻編集者との逢引きに使っていた。人妻編集者はわたしの担当だったこともあり顔を合わせたら気まずいのだけれど、この際、四の五の言ってはいられない。
「変な女につきまとわれているんですよ」
少し痩せたように見えるS氏は言いながら、刑事ドラマでよくするように、窓のブラインドを指でちょいと下げてみせた。
「ほら、あそこにいるでしょう?」
同じようにして窓の外を見ると、道を挟んで向かいの駐車場の隅に、なるほど女らしき人影がいた。女は停めてあるトラックの陰に身を潜めるようにして立っているが、角度が悪いため、ここからでは目鼻立ちもうかがえない。
「いつからですか?」
「たぶんだけど、あのイベントの直後からです。それとは別に、彼女とのことが夫にバレました。もう会えないと泣きながら電話をしてきて。訴訟されたらと考えると、僕は夜も眠れない。元妻への慰謝料と養育費の支払いもあるし、変な女にはつきまとわれるし」
ため息を吐いたかと思うと、S氏はいきなり部屋の壁を蹴りつけた。ものすごい音がして壁に穴があいた。わたしは、もう帰ろうと思った。
事務所を出て駐車場のほうを見たら、女はまだ同じ位置に立っていた。わたしはそちらに近づいていった。女は逃げも隠れもしなかった。当たり前だ。それは風雨に晒された清涼飲料水のポスターだった。健康的な笑顔を貼りつけた美しすぎる女が、その視線を虚空に彷徨わせていた。わたしは事務所の窓を見上げた。ブラインドの向こうで、S氏が息を潜めている気がした。
「この写真、ちょっとおかしいんだけど」
夕飯の席で、妻がスマホを見せてきた。
それはつい先日、友人夫妻と子連れで新宿御苑に遊んだときの写真で、その中の、わたしが写っているものにだけ奇妙なハレーションがかかっていた。いくつかの写真では光の筋に女の横顔らしきものが浮かび上がっており、わたしにはそれがS氏と関係している編集者によく似ているように思われた。
「浮気でもしてるの?」
「いやちがう、それはおれの話じゃない」とわたしは叫びたかった。しかし詳しい説明をする気が起きず、知らぬ存ぜぬを突き通した。写真は一枚残らず削除させた。
半月ほど経った頃、とあるアンソロジーの寄稿依頼が来た。急なことで申し訳ないが、一週間で二十枚の原稿をお願いしたい、と平身低頭され、瀉血でもするようにして書き上げた。そんなことは珍しくもないのですぐに忘れてしまったものの、ある席で、その原稿がS氏の埋め草だったことを知った。S氏は、原稿を飛ばして行方知れずになっているらしいのだ。
「同じ時期に、Kさんとも連絡がつかなくなったそうですよ」
事情通の知人からそう聞いた。Kさんは、S氏と関係していた編集者である。編集部では寄せ鍋をひっくり返したような大騒ぎになっているようで、警察に捜索願いまで出したのだとか。
暮れも押し迫った頃、わたしはひさびさに実家に顔を出した。せっかくだから外食でもという話になり、懇意にしている中華料理屋に行くと、隣の席にどこかで見た顔の女がいた。女のほうでも、こちらをうかがっている様子である。
記憶の糸を必死に手繰っていたら、そのうちにやっと思い出した。
あのイベントの最中、死んでも生きている女のことを訊ねてきた女だった。
あっ、と思って立ち上がった。女はちょうど会計を済ませたところだった。わたしはあわてて女の後を追い、店の外に出た。女は車道を爆走していた。とても人間とは思えない速度で、車と車の間を縫って走っていた。
「なんだあの女、生きてる人間じゃねえっ」
近くを歩いていた若い男が叫んでそちらにスマホを向けたが、そのときにはもう女の姿は影もかたちもなかった。
死んでる人間の動きでもないよ、とわたしは思った。

【怪談私小説】嫌な男

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友人の植木屋と居酒屋に入った。ざっかけない接客が心地良く、刺身が美味い。ちょっとおもしろい日本酒の品揃えも気に入っていて、月に一、二回は顔を出す。
植木屋は最近、仕事関係でちょっと不思議な体験をしたという。酒を飲ませて、それを聞き出すつもりだったのだ。
一杯目を注文しおしぼりで顔を拭いていると、アルバイトのリサちゃんが妙な目配せをしているのに気づいた。
「あの人いるよ、加納さん」
飲み物を運んでくるついでに、ぼそっとそう呟いた。
わたしは舌打ちした。嫌なやつが来ているな。そう思ったのだ。
加納というのは、以前、知人の紹介で実話怪談のネタをいくつか提供してくれた男である。自分よりも十かそこらは歳上のはずだが、凡そ定職というものに就いている気配がない。年がら年中、パチンコですったとかソープでハズレだったとか、そんな話ばかりしている。
それは別にいい。
問題は加納が、年端もいかない子供に対して性的欲望をおぼえる男である点だ。
半年ほど前、同じ酒場で酩酊した彼が、
「ぼくは小さい女の子が好きっ。男の子も」
などとはしゃぎ出したことがある。一応年長者だし、ネタを提供してもらった引け目もあるから、最初のうちは「だめだめ」と控えめに止めていたものの、図に乗った加納はあたり構わず大声で喚き続け、醜態を晒した。
「おれは、小さい子が大好きっ。虐めたい。リョージョクしたい。なんだお前はっ。作家だなんて威張りくさって。数珠つなぐような商売のくせして」
加納は酔うと顔中に蕁麻疹みたいな赤い点々が浮き上がる。大きく開いた鼻の穴から、真っ白な鼻毛がのぞいていた。
それを見ていたら、いい加減、ムカついてきた。当方にも四つの娘がいるのである。それがこんな男の濁った性欲の対象になっているのかと考えると、喉の奥に舌が落ち込んでいくような怒りをおぼえた。わなわなと手が震えた。
「殺してやるから表に出ろっ」
わたしは立ち上がり、店の出入口を指差した。吃りが出かけて、自己嫌悪に陥った。
怒鳴られた加納は、さっきまでとは打って変わり、卑屈な笑みを浮かべてこちらを見上げていた。「冗談なのに」とでも言いたげな表情をまとわせていたが、散々騒いだ挙句、他の客にもうっすらと絡み酒をしていたこともあり、いたたまれなくなったのだろう。こちらに聞こえない程度の声量で文句を言いながら、店を出ていった。
それ以来、連絡はとっていない。
「河岸を替えようか」
わたしは言って、運ばれてきたビールを急いで飲み干した。植木屋にもやはり三つになる娘がいるのである。特に説明はしなかったけれど、なにかを察したらしく、彼も黙ってグラスを空にした。
それで結局、二駅ほど離れた別の店に移動した。以前までは落ち着いた雰囲気だったのに、ひさしぶりに行ってみたら、法被を着たキンキン声の女の子たちがテーブル間を飛び交う、やかましい店になっていて閉口した。
「奥の席に変なのがいるぜ」
便所から戻ってきた植木屋が言った。酸っぱいものでも食べたような顔をしている。
聞けば、髑髏柄のシャツを着た小肥りの中年男で、誰もいない壁に向かって、一人何事かを語りかけているのだという。
便所の順番待ちのふりをして独言に耳を傾けると、呪われた猿のぬいぐるみが毎晩夢に出てくるとか、首吊り自殺をした妻らしき人影が家の中を踊りながら移動しているとか、そんな不気味な内容だったらしい。
「怪談師のたまごが練習でもしてたのかな。知り合いじゃあないの?」
植木屋は半笑いでレモンサワーを口に運んだ。
わたしは戦慄した。それは加納じゃないか。外見の特徴からも、間違いない気がした。髑髏柄とか茸柄とか、そういうセンスのないシャツを好んで着る男なのだ。
すると加納は、さっきの店からわたしたちの跡をつけてきたのだろうか。偶然とは考え難いから、きっとそうだろう。だとすれば、目的はなんだ? わたしとの和解か、あるいはお門違いな報復をする算段でもしているのか。後者なら恐ろしいが、あんな男になにができるという侮りもあった。わたしは席を立ち、店奥の便所に向かった。
植木屋の言っていた席に、加納の姿はなかった。
ただ金髪に豹柄の服を着た派手な老女が、空のビールジョッキを片手に、まるで誰かの話に相槌を打つように、うんうんと首を上下させていた。老女は眠っているようだった。
便所の扉を開け、小便器の前に立つ。『いい男は一歩前へ』とかなんとかくだらない文言を連ねた貼り紙の余白に、鉛筆で小さく『男の子も好き♡』と書いてあった。植木屋とは二時間ばかり映画の話をして別れた。怪談は聞けずじまいだった。
「あのね、こないだのあれ、勘違いだった」
後日、駅で偶然顔を合わせたリサちゃんからそう言われた。
「あれってなに?」
「加納さんのこと。あの人、死んだんだって」
植木屋と飲んだ日の一週間ほど前に、加納は都内のラブホテルで変死を遂げていた。チェックアウトの時刻になっても音沙汰ないのを不審に思った従業員が中をのぞくと、加納はベッドの上で事切れていた。全裸だった。
加納の口中には、今はもうそうしたプレイでしか用いられることのない女性用ショートパンツ、いわゆるブルマーがぎちぎちに詰め込んであったらしい。
警察が防犯カメラを確認したところ、加納は一人でチェックインしており、部屋から性的サービスを頼んだ形跡もなかった。要するに自分で自分の口の中にブルマーを突っ込んで窒息死したわけだが、一体全体どうしてそんなことをしたんだかわからない。
「だからあの日、店にいたはずないんだよね。わたし、誰かと勘違いしたんだと思う」
リサちゃんの目が泳いでいた。
「どこにでもいる顔だから」
とわたしは話を合わせたものの、そうそう見間違えるような外見でないことはよくわかっていた。
翌日、わたしは永田町の国立国会図書館に赴き、過去の新聞記事を閲覧した。すると、たしかにそのような事件があったことがわかって、リサちゃんの言葉が真実であると証明された。以下、その全文を掲載する。
 
〈都内ホテルで異物詰まらせ男性不審死、殺人の疑いも 
二十一日午後三時四十五分頃、東京都豊島区のホテルから「男性が異物を喉に詰まらせ倒れている」と警察に通報があった。
警察によると、見つかったのは住所不定無職の男性(五二)で、搬送先の病院で死亡が確認された。死因は女性用下着が喉に詰まったことによる窒息死で、警察は事件性もあるとみて捜査している。〉(『朝日新聞』夕刊、令和五年四月二十二日)
 
記事内では窒息死の原因となった異物が「女性用下着」とされ、またこの時点では他殺の線も疑われていたようだ。この後、事件に関する続報はどの新聞を参照しても見当たらない。加納のことに相違あるまい。
わたしはコピーした記事を折り畳んで手帳に挟んでいたが、友人の結婚祝いの席で意識を失うほど泥酔し、手帳ごと紛失してしまった。だから、先の引用はわたしの記憶に基づく再現である。
以来、しばらくの間、わたしのアドレス宛におかしなメールが届いた。
それは着用済みの下着、ソックス、ブルマーなどを販売する個人業者からのもので、わたしはSNSのプロフィール欄にもアドレスを掲載しているから、そんなメールが届くこと自体に不思議はない。
しかしそこに添付されていた画像に写っていたのは、女性用下着やブルマーを着て、あられもないポーズをとる太った男(顔にはモザイクがかかっていた)の姿であり、今はもう迷惑メール設定にしてしまったが、ひょっとするとまだ届き続けているかもしれない。

【実話怪談】駐輪場

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和馬さんが以前よく利用していたスーパーの駐輪場の話である。

その駐輪場は、店の裏手のちょっとした死角に設けられていた。だからなのか、時折、近所の高校生がたむろしていたり、ホームレス風の男がシケモクを吸っていたりということがあったらしい。
もちろん店側もそれを問題視した。監視カメラを設置する、警備員の数を増やすなどいくつか対応策は講じていたものの、効果のほどはいまひとつはかばかしくなかったようだ。

和馬さんはその晩、海外に長期出張することが決まった友人の壮行会でしこたま酒を飲んだ。最寄駅に着いたときには、満足に足を運べないほどに酩酊していた。
目についた自販機でペットボトルの水を買う。それを飲み飲み千鳥足で帰路をたどっていったところ、途中、和馬さんは不意に尿意をおぼえたという。
家までは五、六分もかからない。シラフなら我慢して歩を進めるのだが、そのときは酔いのせいで気が大きくなっていた。
和馬さんは特に考えもなしに道の奥まったところに入っていった。
そこにはちょうど、くだんの駐輪場がある。
よく利用する店だから、監視カメラの位置は把握している。この時間なら警備員がいることもないだろう。
念のため最奥部の、通りからは目につかない場所まで入り込むと、和馬さんはズボンのファスナーを下げた。
 
目覚めたら自宅のベッドにいた。
時刻は午前十時前。昨日あれだけ痛飲したにもかかわらず、体調は思いのほかよかった。
シャワーを浴びながら昨晩のことを思い出そうとするも、和馬さんの記憶は、駐輪場で立ち小便をしかけたところでぷっつりと途絶えている。
一抹の気味悪さをおぼえつつ、和馬さんは身支度をし、家を出た。昨日のスーパーで菓子パンでも買うつもりだったのだ。
が、スーパーは休みだった。入り口にはシャッターが下ろされ、臨時休業と書かれた張り紙がしてある。
めずらしいこともあるなと和馬さんは思い、なんの気なしに駐輪場のほうに足を向けた。
駐輪場の前に人だかりができていた。黄色い規制線が張られ、そこから警官が出入りしている。
「自殺だってさ」
「まだ若いのに」
「どうしてこんなところで」
「それもそうだけど、なんでまたあんな」
「ほんとにねえ」
野次馬たちが口々に言い交わしているのが耳に入った。
和馬さんは呆然とその場に立ちつくしてしまった。
「あー、そこのおにいさん、ちょっとちょっと」
見れば一人の警官が和馬さんを手招きしている。
ひょっとすると面倒なことに巻き込まれたのかもしれない。
和馬さんがそう思った次の瞬間、
「おにいさんって、霊感とかあります?」
警官はそう言った。
和馬さんは一瞬、思考停止に陥った。警官は満面の笑みを浮かべ、手招きを続けている。
その警官のすぐ後ろに、等身大の真っ赤な煮凝りみたいなものが浮いていた。ぶよぶよした指のない掌を和馬さんに向け、警官の動きを真似るようにおいでおいでをしているようだ。
周囲の喧騒が不意に消えた。
その場の野次馬たちがみな、押し黙って和馬さんを見つめていた。
和馬さんは悲鳴をあげてその場から逃げ去った。案に相違して、誰も追いかけては来なかったという。
 
後日聞いた話によれば、前夜、その駐輪場では近所に住む大学生が自殺を遂げていた。
詳しい動機は不明だが、死因については、なぜこんな惨たらしい方法を、と警察も絶句するものだったらしい。
和馬さんが立ち小便をしたとき、駐輪場にはすでに大学生の死体があったのだ。
そのことと和馬さんの記憶の欠落にはなんらかのつながりがありそうだけれど、結局のところ、あの晩、なにがあったのかは今も思い出せないままである。
ちなみに、和馬さんには霊感なんてものはまるっきり備わっておらず、そんな不可解な体験をしたのは、後にも先にもそのときだけということだ。
 

【読書感想】富岡多恵子『遠い空』(中公文庫、1985年)

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短篇集。表題作「遠い空」は、先日めでたく文庫化された春日武彦『無意味なものと不気味なもの』(中公文庫、2024年)で取り上げられている。
わたしは春日氏のこのエッセーを学生時代に愛読したいへんな影響を受けたのだが、言及されている小説のうち、どういうわけかこの「遠い空」だけは読んでいなかった。
で、せっかくだしこの機会に表題作くらいは読んでおこうと軽い気持ちで本書の頁を紐解き、愕然とした。あまりにおもしろく、おそろしいのである。

車谷長吉は「漂流物」で第113回芥川賞の候補になった際、過半数の票を獲得したもかかわらず、受賞を逃した(同年の受賞作は保坂和志『この人の閾』、車谷を敬愛するわたしはこの一件をもって保坂和志を毛嫌いしている)。
その車谷の「漂流物」について、当時選考委員だった日野啓三は、「殺伐とした時代にこのような『殺人小説』は推せない」という意味のことを言ったのであった。

本書『遠い空』に収められた表題作及び「末黒野」は紛うことなき「殺人小説」である。それもいわゆる三面記事的な事件を扱って躊躇いがない。ひょっとすると実際にあった事件をモデルにしているのかもしれないが、別にそれはこの作品群を味わうのに不要な知識である。

表題作では性交を拒まれた聾唖の男が、「末黒野」ではなにをしても続かない怠け者の男が、山中で遭遇した老婆を、足手まといの子供と自分を見放した両親を、それぞれ殺す。動機を強いて挙げるなら、「焦った」「嫌になった」「面倒になった」、そんなところだろう。
それでいうと「女道楽」の春駒も「二十歳」の西松政志も、いずれも短慮というほかない理由から人生を狂わす行為に走ってしまうのだけれど、その決断に一切の閾値がない。ここを踏み越えたらアウトという線引きがない。ずるずると自分を引き摺って、また引き摺られて、気づいたときには取り返しのつかないことになっている。「魔が差した」という瞬間が欠けているのだ。
だからなのか、この短篇集に収められた作品はどれもこれも終わった感じがしない。際限なく続く(そして円を描く)長城の、その一区間を収めたスナップショットのように思える。わたしにはそれがとてもおそろしい。

実話怪談書きとしての自分は、こういう終わったかどうかもわからない話(いわゆる現在進行形の話とはニュアンスが異なる)に弱い。
それはきっと、ある出来事とか人の一生というものはどこかで明瞭に完結するものではなく、だらだらと続く永遠の中に組み込まれているのではないか、という危惧からきているのだろう。

表題作はもちろん「末黒野」「二十歳」「弱肉」など忘れがたい作品ばかり。富岡多恵子の短篇をどこかがまとめて出してくれないだろうか。

【読書感想】パトリシア・ハイスミス『ゴルフコースの人魚たち』

 

最近いろいろと健全すぎる生き方をしている気がした。
こういうときはハイスミスを読むにかぎると、本棚から未読だった本短篇集(森田義信訳、扶桑社ミステリー、1993年)を引っ張り出してきたところ、あまりの不健全さにあてられてゲンナリしてしまった。

本書の登場人物は、皆いずれも良識のある人びとだ。
一例を挙げるなら、大統領の経済顧問、妻子ある税理士、還暦を迎えた弁護士、アートスクールの学生、フランスの田舎町に住む教師など、はたから見れば概ね満ち足りた生活を送っているように見える。
ハイスミスとしては、そうした健全な人たちに宿る不健全な魂を取り出してみせてこそ、短篇小説作家としての腕の見せどころなわけだろう。

というと、わたしたちもこれを戒めとして自らの不健全な魂に向き合わねばなりませんね、などと説教くさいことを言い出す向きが、どこからともなく涌いて出てくるのが世の常だが、冗談じゃない。
なぜなら当方は、ダウン症の子供に生活をかき乱されても行きずりの男を絞殺したりしないし、推しの作家にしつこく手紙(現代ならさしづめDM)を送りつけることもないからだ。
感じの悪いことを言えば、そんなことをしそうもない健全な人間であるほど、上記のようなおためごかしを述べて悦に入る節があり、あなたにとっての不健全さはむしろそういうとこですよ、と教えてあげたくもなる。あげないが。

ともあれ、ハイスミスの(特に短篇の)おもしろさは、人間心理の精緻な観察とか群を抜いた描写力とかにあるのではない。それは、箱庭に放り込んだ一人の健全な人間をいかに不健全な陥穽へと導いていくかという、きわめて俗悪な興味関心のあり方であって、趣味は人間観察です、などと真顔で言ってのける感性にも近いものだと思う。

月並みな話だけれど、ドイツ語には「シャーデンフロイデ」という言葉があり、自分ではない誰かが不幸に見舞われたときにおぼえる喜び、うれしさなどの快い感情を表す。日本語に訳すなら「他人の不幸は蜜の味」となろうか。そういえばハイスミスの小説は、かつてのリバイバル時、端的に「厭ミス」とか称されていたのであった。

収録作すべて感じが悪い佳品揃いだが、突き抜けた俗悪さがほとんど奇想の域に達している「狂気の詰め物」がいちばんのお気に入り。よくもまあこんな不健全な復讐を思いつくものだ。

【実話怪談】鶏鳴

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柳楽さんが数年前まで住んでいたアパートでは、明け方、よく外で鶏の鳴く声が聞こえたそうだ。
そこは駅から徒歩二十分ほどの場所にある木造物件で、周囲には畑も多かった。だから鶏を飼ってる人くらいいるだろう、と柳楽さんはそう考えていて、鳴き声がすること自体に不審の念はなかったけれど、仕事で泥のように疲弊しているときなどは、正直、うるさいなあ、と頭に来ることもあった。とはいえ一番鶏の鳴く声で目を覚ますなんてのは、なかなか得難い経験である。
柳楽さんは、そのアパートを結構気に入っていた。

引っ越してしばらく経った頃、柳楽さんに恋人ができた。二つ歳下のよく笑う女性だったが、はじめてアパートに遊びに来た際、彼女が妙なことを言った。
「なんかさあ、朝方、外で子供が泣いてなかった?」
柳楽さんは首を傾げた。
「子供? 鶏の鳴く声じゃなくて?」
「いやいや、絶対に子供の声だよ。近所の子が虐待でもされてるんじゃない?」
二人の会話はいつまでも平行線のまま噛み合わず、その後、彼女は柳楽さんの家を訪れることはあっても、泊まっていくことは決してなかったという。

そんなある日のこと、柳楽さんが深夜にラジオを聴きながら夜食のラーメンを作っていたら、玄関扉をノックするような音がした。
風の強い晩だったから、最初はそのせいかと思っていたのだが、二、三分もするうちに、
「……て……され……こ……まま……」
と、くぐもった声が聞こえてきた。
時計を見れば深夜一時を少し回ったところで、こんな時刻に訪ねてくる者がまともな脳の持ち主とは思えない。
「……て……され……こ……まま……」
声の主は、同じ言葉をひたすら繰り返している。
怖すぎる、とは思うが、一体なにを言っているのか気になって、柳楽さんはこちらの動きを気取られないよう、忍び足で玄関に近づいた。
息を殺して、扉に耳を押し当てる。

……コケコッコ
コケにされ
コケコッコ 
コケのむすまま
コケコッコ……

歌をうたっている? と思った直後、室内にものすごい鶏鳴が響きわたり、振り向いた柳楽さんが見たのは、裸の子供の身体に鶏の頭を乗せたなにかよくわからないものが小走りに走り寄ってくる姿だった。