悲鳴窟

怪談その他

【読書感想】パトリシア・ハイスミス『ゴルフコースの人魚たち』

 

最近いろいろと健全すぎる生き方をしている気がした。
こういうときはハイスミスを読むにかぎると、本棚から未読だった本短篇集(森田義信訳、扶桑社ミステリー、1993年)を引っ張り出してきたところ、あまりの不健全さにあてられてゲンナリしてしまった。

本書の登場人物は、皆いずれも良識のある人びとだ。
一例を挙げるなら、大統領の経済顧問、妻子ある税理士、還暦を迎えた弁護士、アートスクールの学生、フランスの田舎町に住む教師など、はたから見れば概ね満ち足りた生活を送っているように見える。
ハイスミスとしては、そうした健全な人たちに宿る不健全な魂を取り出してみせてこそ、短篇小説作家としての腕の見せどころなわけだろう。

というと、わたしたちもこれを戒めとして自らの不健全な魂に向き合わねばなりませんね、などと説教くさいことを言い出す向きが、どこからともなく涌いて出てくるのが世の常だが、冗談じゃない。
なぜなら当方は、ダウン症の子供に生活をかき乱されても行きずりの男を絞殺したりしないし、推しの作家にしつこく手紙(現代ならさしづめDM)を送りつけることもないからだ。
感じの悪いことを言えば、そんなことをしそうもない健全な人間であるほど、上記のようなおためごかしを述べて悦に入る節があり、あなたにとっての不健全さはむしろそういうとこですよ、と教えてあげたくもなる。あげないが。

ともあれ、ハイスミスの(特に短篇の)おもしろさは、人間心理の精緻な観察とか群を抜いた描写力とかにあるのではない。それは、箱庭に放り込んだ一人の健全な人間をいかに不健全な陥穽へと導いていくかという、きわめて俗悪な興味関心のあり方であって、趣味は人間観察です、などと真顔で言ってのける感性にも近いものだと思う。

月並みな話だけれど、ドイツ語には「シャーデンフロイデ」という言葉があり、自分ではない誰かが不幸に見舞われたときにおぼえる喜び、うれしさなどの快い感情を表す。日本語に訳すなら「他人の不幸は蜜の味」となろうか。そういえばハイスミスの小説は、かつてのリバイバル時、端的に「厭ミス」とか称されていたのであった。

収録作すべて感じが悪い佳品揃いだが、突き抜けた俗悪さがほとんど奇想の域に達している「狂気の詰め物」がいちばんのお気に入り。よくもまあこんな不健全な復讐を思いつくものだ。