マサキさんは大の愛煙家である。
その日もはじめて訪れた街で仕事を終え、どこかで一服、と思ったのだが、駅前に喫煙所は見当たらない。
「うろうろしてるうちに便所にも行きたくなってくるしさ。しかたねえから、近くにあったビルん中に入ったのよ」
地下にスーパーマーケットと飲食店街、上階にクリニックや調剤薬局、エステ店などが入っている大きめのテナントビルで、マサキさんは入り口のエスカレーターで地下フロアに降りていった。
「便所は廊下の反対側で、やたら遠いんだこれが。で、やっとこたどり着いてみたら、なんとその横に喫煙所があったわけ」
用を済ませたマサキさんが喫煙所のガラス戸を開けると、中には先客がいたのだという。
縦にも横にも大きな中年の女だった。身の丈などはマサキさんと同じくらいある。マサキさんは身長百八十五センチの巨漢なのだ。
「デカいのもそうなんだけど、全体のフォルムが四角いんだ。水色の無地のワンピースを着てて、なんだか『ぬりかべ』みてえだなと思った」
女は彼に一瞥もくれることなく、猛烈な勢いでたばこを吸いまくり、こちらが一吸いするかしないかのうちに喫煙所を出ていった。
それでマサキさんが、ガラス戸越しに女が遠ざかっていくのを眺めていたら、すぐ横の女性用トイレからまったく同じ外見の女が、ぬッ、と現れて喫煙所に入ってきた。
混乱したマサキさんが廊下の奥に視線をやると、最初に喫煙所にいた女の後ろ姿が遠ざかっていくのが見える。
「最初は、姉妹なんかな? と思ったよ。でもさすがに服装までまるっきり一緒ってことはねえだろうし、見れば見るほど、同一人物なんだ」
マサキさんがそちらをついジロジロと見ていたら、女はやはり先ほどのようにものすごいスピードでたばこを吸い終え喫煙所を後にしたのだが、その直後、トイレからまたしてもその女が出てきたのである。
ガラス戸を開けて入ってきた女は、さっきまでのふたりとまったく同じ位置に立った。
マサキさんは今度はもう、全身が硬直して動けなくなってしまった。
すると巾着袋からたばこを取り出していた女が、
「他人様の 猫に屁をひる 苦界かな」
とわけのわからない川柳のごときものを呟いたので、あまりのことに恐怖で失神しそうになったマサキさんは「すみません、すみません……」と連呼しながら喫煙所を飛び出した。
しかしこれが幻覚でなければ、前方数メートル先にはまだふたり目の女の後ろ姿があるはずである。
マサキさんはとにかく視線を床に固定したまま足を動かしエスカレーターに乗り、一階に着いた途端、脇目も振らずに駅まで走っていった。
「それから一度だけ、そのビルの前を通ったよ。そりゃおっかねえけど、やっぱり気になるからな、おそるおそる地下に降りてみたら」
喫煙所のガラス戸には立入禁止の虎柄テープがベタベタに貼り巡らされていた。
それだけならわかるが、どういうわけか新聞紙で目張りまでされており、中の様子は窺えなかったということだ。