悲鳴窟

怪談その他

【実話怪談】箴言

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仏文科の学生だった隆之介さんが卒論のことで指導教授のもとを訪ねると、その先生がちょうど研究室から出てくるところで、
「すぐ戻りますから」
と言うがはやいか、小走りでいなくなってしまった。
研究室のドアは全開だったから、隆之介さんは、ここで待てということだろうと判断し、室内のパイプ椅子に腰掛けた。
目の前のテーブルには本や書類が堆く積まれている。
それで手持ち無沙汰な隆之介さんが、手近にあったとある研究書を読むでもなくパラパラとめくっていたら、頁のあいだから一枚の写真が出てきたという。

写真は海外──おそらくはフランスの都市部──のどこかカフェのような場所で撮られたものらしく、学内ではあまり見る機会のないラフな格好をした指導教授がひとりテラス席に腰掛け、こちらに顔を向けている。
しかしどうにもおかしいのが、その先生の両目に赤い目隠し線が入っており、よく見ればそれは単なる線ではなく、フランス語の文章なのである。
字が小さいしおまけに殴り書きに近い筆記体だったからはっきりと判読できたわけではないけれど、それはおおよそ、

《しんじつの人生とは往々にしてガラスの靴を踏み砕いた瞬間からはじまるものだ。》

といった意味合いの文言で、隆之介さんは、だれか作家の箴言を引用したのではないかと思ったそうだ。
とはいえそれがなんでわざわざ目線にかぶるようにして書いてあるのか、意味がわからない。見てはいけないものを見てしまった気がした。もとあった場所に写真をそッと戻した。
直後、研究室のドアが開いて、
「お待たせしました。出席の件で事務に呼び出しを食っちゃって」
と言いながら指導教授が入ってきた。

その後、無事に大学を卒業した隆之介さんは、仏文学とは縁もゆかりもない企業に勤め、いそがしくもそれなりに充実した社会人生活を送っていた。
ある晩、テレビをつけると、某局でやっているフランス語会話の番組に、件の指導教授が出ていたのだという。
テレビ画面に映る教授の顔には、あの日見た写真と同じ赤い目隠し線が入っていた。
顔を近づけてみると、線と見えるのはやはりフランス語で書かれた箴言のごとき文章である。
しかし以前とは内容が微妙に異なっており、

《ガラスの靴を踏みちがえた人生はいつだって血まみれで幕を閉じるものだ。》

そんなふうに読めたのである。