悲鳴窟

怪談その他

白シャツ

大学院生の吉永さんが友人であるS宅を訪ねると、お揃いの白い襟なしシャツを着た四、五人の男女がアパートの前にたむろしていた。円陣を組んで顔を突き合わせ、何事かをひそひそと相談している様子である。
わきを通りすぎる際にチラッと見れば、彼らの着ているシャツの左胸には赤い糸で三日月のようなマークが刺繍されていた。
「変なやつらがいなかったか?」
部屋に入るなり、Sはそう訊ねてきた。まだ明るい時刻だというのに、カーテンを閉め切っている。
「いたよ。なんだあれ? 宗教の勧誘か?」
「わからん。昨日からずっとつけられてる」
吉永さんは「こいつ大丈夫か?」とSの顔をまじまじと見つめたが、どうやら本気で言っているらしい。常にない、おびえた表情を浮かべている。
「追われるようなことをしたのかよ?」
「心当たりはある。大学裏にあるカラオケ屋、わかるだろ?」
「ああ、ボヤ出して閉店したところか。それがどうした?」
「昨日あそこに彼女とおれとで……なんというか、忍び込んだんだ。それで、あんまりこう……他人には言えないことをしたんだが、その時から監視されてるみたいなんだ。彼女はいまじぶんちで、怖くて外に出られんらしい。おれもそうだ」
ちょっと彼女の様子を見てきてくれよ、と頼まれた吉永さんがひとまずベランダに出て外を確認したところ、白シャツたちの姿がない。
「もういないみたいだよ」と言いながら部屋に戻ると、Sは煙のように消えていた。玄関の鍵はかかったままで、靴も残されていたという。
彼女とも連絡が取れないまま、五年が経とうとしている。

【実話怪談】関係

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今年で不惑をむかえる芳樹さんは、郵便ポストの投函口から猫の頭部らしきものがにょっきりと「生えて」いるのを、これまでの人生で計五回見たことがある。
アッ! と思った時にはもう消えている。錯視というには、あまりにはっきり見えるのだとか。

そんな話を以前聞いて、おもしろいなと思った。怪談会やツイキャスでも何度か披露したことがあり、文章を起こすにあたって、再度、芳樹さんに連絡をとった。

「ああ、あの話ね。言いそびれてたけど、猫関係で変な話は他にもあるんですよ」

郵便ポストの猫と関係があるのかはわからないが、芳樹さんは猫になつかれるということがない。野良でも家猫でも、彼が近づくと毛を逆立てて威嚇する。

またこんなこともあった。
ひさびさに電話をしてきた友人から、怒り心頭といった口調で、

「おまえ、猫を殺してるそうだな」

いきなりそう詰められた。
なんでもすこし前に手酷い別れ方をした元交際相手が、周囲に芳樹さんの悪口(というか端的に誹謗中傷だが)をあることないこと喋り散らしていたらしく、その中に「あいつは簀巻きにした猫を川に流してストレス発散するような男だ」という文言があったのである。
猫好きの友人はそれを真に受けたのであって、もちろん芳樹さんは猫を殺してなどいない。

どうしておれにはこうも猫関係で妙なことばかり起きるのだろう。
そんなふうに思っていた矢先、芳樹さんは脇見運転の車にぶつけられて左足を骨折する大怪我を負った。
その事故現場となった場所は、「猫」の一字が入った坂だったそうだ。

ここまでくると猫の祟りとか呪いといった考えも脳裏をよぎるのだが、それにしてもまったく心当たりがないから困っているのだという。

【実話怪談】山でサヨナラ

京香さんの趣味は登山である。以前の会社で仲の良かった同僚の影響だが、いまでは関東、東北地方の山はひととおり踏破したという。
再就職先でも山仲間が見つかれば、と思っていたところ、直属の上司にあたる魚尾という男が、
「山好きなんだって? 実はおれもなんだ。今度一緒に登ろうよ」
そう声をかけてきたそうだ。
京香さんは内心「ゲッ」と思った。
魚尾は、セクハラ紛いのジョークを連発するせいで、周囲から疎んじられていたのだ。
適当な口実で逃げようとしたが、誘いを断るのが苦手な京香さんは結局、魚尾と山に登ることになってしまった。

当日、京香さんの気分は沈んでいた。
登山口に近い駅のホームで魚尾の顔を見た瞬間、身体まで重くなった気がした。
とぼとぼと歩を進める京香さんに対して、魚尾のテンションは高い。
しつこく彼女にじゃれつき、山道の草花に嬌声をあげては自慢の一眼レフを構え、頑是ない少年のごとくはしゃぎながらコースを進んでいく。
ちょっともう無理かも……。
そんな時、京香さんの視界の端で、黄色いものがちらついた。

猫を一回り小さく、あるいは鼠を一回り大きくしたくらいの、小人だった。
そんな小人が、三角帽に黄色い服という、まるで絵本の世界から抜け出てきたような格好で、彼女の前方数メートルをスキップしながら進んでいく。
極めて異常な状況だが、京香さんは、
(ああ……小人さんが歩いている……)
とぼんやり考えていたそうだ。
(こんなかわいい小人さんに出会えるなんて、運がいいなあ……)
無性にハッピーな気持ちでしばらく歩いていたら、とつぜん、小人が振り向いた。
平面的な、点と線だけの顔だった。
ハッと足を止めた瞬間、小人の口が腹話術人形のようにパカッと開いて、

《山でサヨナラ、いないいない、ばあッ》

歌うような節回しでそう言うと、意外な俊敏さで藪のなかに消えていったという。

気づいた時には、魚尾はいなかった。
山腹や山頂の休憩所にも姿はない。当然、京香さんは慌てたが、電波の入るところまで来たら「先に下山します」という素気ないメッセージが届いており、なんだこいつ、と腹立たしく思った。

翌日、魚尾は会社を休んだ。
そしてそのまま出社することなく、気づいたらデスク周りが片付けられていた。実家に不幸があり郷里に帰ったとの話だった。京香さんは別に詮索もしなかった。

一度、ケータイに魚尾から不在着信が入っていたが、かけ直しもせず着信拒否にしたそうだ。

わからなさと踊れ 高田公太「あるファンからのメール──愚狂人レポート」感想

気狂いとはおのれのことしか考えぬ者の謂である。

エリアス・カネッティ「眩暈」池内紀訳)

 

ああ、バートルビー! ああ、人間!
ハーマン・メルヴィル「書写人バートルビー柴田元幸訳)

 

高田公太さんのnote連載小説「あるファンからのメール──愚狂人レポート」https://note.com/kotatakada1978/m/me4db3307e0d5(以下『愚狂人レポート』と表記する)が完結した。わたしは昔から連載を追うのが苦手なので、完結したらまとめて読もうと思っていた。それでいよいよ読みはじめた。
ここ最近は怪談の取材と執筆に明け暮れていて、小説──特に現代の──を読むことから離れていたのだが「愚狂人レポート」は一読、傑作だと思った。続けて二度読んだ。

途中までわたしは、これは語り手ちはるの成長小説ではないか? と考えながら読んでいた。愚狂人A子と向き合うことで、自身の「まとも」なパーソナリティーを揺さぶられ続けた彼女が、新たな愚狂人として生まれ変わる、というような。
じじつ、ちはるが「まとも」と「バカ」の狭間で引き裂かれそうになっているとおぼしき描写はいくつかある。特にアキラから送られてきた自身のレコーディング音源を再生するくだりは秀逸で、ほとんど実話怪談を髣髴させる無気味さである。

ただし、ちはるは最後まで「バカ」になれない。かといって玲香やボンベさんと同じように「バカ」を面白がる視点をも獲得できず、彼女の夫が体現するものわかりのよさ(という名の無関心)にも苛つきをおぼえる。

これはなにもちはるにかぎったことではない。
わたしだって、A子のようにはなれない。一緒にいて「面白い」と感じるかどうかもわからない。きっとツラいだろう。遠目で見るか人づてに聞くかして「うわあ」と思う程度が関の山にちがいない。
そういうスタンスは玲香やボンベさんからすれば「面白くない」だろうし、わたしは反対に、A子のごとき愚狂人に積極的にコミット、コンテンツ消費する玲香やボンベさんのことを悪趣味且つ残酷であると感じる。

もっと言えば、わたし自身のなかにA子的な要素が皆無であるとまでは言わないが、相当にかけ離れた人物であるとは断言できる。というのも、わたしはよく知らない人に「ヤリたい」とDMを送ったりしないし、知り合って間もない人の財布から一万円をくすねたりはしないからだ。

ゆえにわたしは「われらみな愚狂人」式の文言には、首を傾げてしまう。

たしかにわたしたちは「まともで賢明」と「狂っていてバカ」のバランスによって他者をジャッジし、またそれをフィードバックすることで自身の同一性を規定するのだが、だからといって両者の割合が9:1の人と1:9の人を同列に扱うのには無理があるだろう。
そもそもこの「愚狂人レポート」という小説において、A子がすこしでも「まともで賢明」な顔を見せていたかといえば疑問であって「ただ酒を飲む」「屁が臭い」「好きな異性にはわりと一途」みたいな部分を恣意的に当て嵌め「じぶんの中にもA子はいる」と言ってしまうのは、結局のところ、A子という剥き出しの「バカ」をわかったかのように振舞うことにほかならない。

ちはるにはもちろん、玲香にもボンベさんにもA子のことはわからない。
わからないからこそ揺さぶられるのだし、人によってはそれを「面白い」と思う。
無論、わたしにもA子のことはわからない。おそらくは作者自身にも、完全にはわかっていないだろう。

なぜなら、小説とはわかったかのように振舞うために書くのではなく、わからないものと切りむすぶために書かれるものだからである。
愚狂人A子という強烈な個性を創造し、そのわからなさと最後までダンスし続けた「愚狂人レポート」は、より多くの人に読まれてほしい小説だ。

【実話怪談】オムライス

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ひさびさの外食でオムライスを食べた岩村くんが食後の珈琲を飲みながら某SNSを開くと、つい数分前に彼をフォローしている人がいた。
なんだか政治的に混み入った話をぽつぽつと呟いている感じのアカウントで、いったいどうして岩村くんをフォローしたのかよくわからない。
が、その人の最新の投稿というのが、いまのいままで彼自身が食べていたオムライスとまるっきり同じオムライスに見える写真だった。

まるでおれが撮った写真みたいだ、とゾッとした岩村くんは、即座にそのアカウントをブロックしたのだけれど、それからというもの彼は、じぶんとは縁もゆかりもないようなアカウントから頻繁にフォローされるようになった。
そしてそれらのアカウントの最新の投稿は、決まってオムライスの写真だったのである。
同一人物のイタズラにしてはあまりに執拗で意味不明だし、それぞれ投稿の内容も傾向も異なる、別のアカウントにしか思えなかった。
一度だけ、オムライスにケチャップで精緻な男性のイラストが描かれていたことがあり、それは岩村くんの顔の特徴を過剰にデフォルメした似顔絵のようだったという。

【実話怪談】もずじまい

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山形県出身の友人に聞いた話。
彼の曽祖父の親次さんは納豆餅が大好物だった。丸餅に納豆とねぎ、大根おろしなどを乗せ醤油をかけたもので、山形では正月のポピュラーな餅料理だ。
そして年季の入った餅好きは、この納豆餅を食べるというより、一口でつるッと飲み込むのである。
この食べ方を「餅飲み」といい、昔はどの村にもこれを得意とする人がいたものだという。

親次さんは「餅飲み」の達人だった。
調子のいい時は一人で三升もの餅を平らげたとかで、その食いっぷりから、正月には近隣の家に招かれ、妙技を披露していたそうだ。
けれどある時期から彼は「餅飲み」をぱたりとやめてしまい、大好きだった納豆餅を避けるようになった。
その理由を訊かれると、決まってこんな話をしたのだという。

ある正月の晩、親次さんは自宅の土間で服に積もった雪を落としていた。
親類の家に新年の挨拶に行き、好物の納豆餅をたらふくご馳走になったのである。
鼻歌まじりに納豆餅の味を反芻していると、ほとほと、と戸を叩く音がしたという。
こんな夜更けに?
訝しく思いながらも親次さんは戸を開けた。
だれもいない。
外には白い静寂が広がっているばかりだ。
気のせいか?
戸を閉め、背後を振り向いた親次さんは妙なものを見た。
それは子供の頭ほどの大きさの白い球体で、搗きたての餅に似ていた。ホバリングするように浮いている。暗い土間でもはっきりと視認できるのは、球体自体がぼんやりと発光しているのだろう。
茫然と見つめていたら、球体の表面に、ぽこッ、と穴があいた。
更にひとつ、ぽこッ、また続いて、ぽこッ、ぽこッ……瞬く間に穴あきチーズのようになったそれがスーッと平行移動し、親次さんとの距離を詰めた。
思わず手で顔を覆うと喉のあたりにひんやりした感触があって、直後、耳元で、

《餅(もず)で死ぬぞ》

というしわがれた男の声がした。
気づいた時にはもう球体は消えていたが、その一件以来、どうしても納豆餅が喉を通らなくなってしまった。

以上が親次さんが語ったとされる体験だが、これには後日談がある。
結局、親次さんは九十歳まで生き天寿を全うした。
しかし彼が亡くなってからというもの、友人の家では、血縁の者が正月に納豆餅を食べようとすると、耳元で、

《餅で死ぬぞ》

という声が聞こえるそうだ。
そしてその声は親次さんのものにたいへんよく似ているということなのである。

【実話怪談】おじさん

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台湾人留学生の永波さんがアルバイト先の個人経営の居酒屋で立ったままうとうとしていると、入口の自動扉が開く気配がした。
「いらっしゃいませー」
咄嗟にそう言いながら腕時計を見れば、深夜三時をまわったところだった。二十四時間営業の店とはいえ、こんな時間に客が来ることは珍しい。
入ってきたのはグレーの背広を着た肥り肉のおじさんだった。羽毛のようにふわふわした頭髪が、強すぎる空調に晒されて寂しげになびいている。
「お好きな席にどうぞー」
永波さんがチラリと視線をやると、奥のボックス席に腰掛けるのが見えた。欠伸を噛み殺しながらおしぼりとメニューを持ってそちらに向かい、ボックス席を覗き込んだところで、
「あれェ?」
と声が出た。ほんの一瞬前、たしかにこの席についたはずのおじさんがいない。店の構造上、トイレに行くには永波さんとすれ違うはずである。
寝ぼけていたのかな? 永波さんが首を傾げていると、厨房から「うわあああッ!」という叫び声がした。
直後、バタバタバタッ……という大袈裟な足音とともに店長が飛び出してきて、永波さんの肩を掴んだ。
「あああ、あれ、あれ……オバケが⋯⋯変なもんが……」
呂律のまわらない口調でそう言いながら店長はガクガクと震えている。
「オバケ?」
永波さんには店長がなにを言っているのか、さっぱりわからなかった。なぜなら当時、まだ彼女は「お化け」という日本語を知らなかったのである。店長はなんとか説明を試みようとするものの、混乱しているせいか、おそろしく早口で文法も支離滅裂だから、余計にわけがわからなかった。
それでしかたなく怯える店長の背中をさすり、大丈夫、大丈夫……と繰り返しているうちに、気づいたらそういうことになっていて、その日から永波さんと店長はのっぴきならない関係に陥ってしまったのである。店長は妻帯者だった。

結局、その日見た「お化け」のことを店長は一度も話すことなく、ふたりの関係は一年ほどで終わりをむかえたが、その間何度か、永波さんはやはり同じ居酒屋の店内でおかしなものを見かけたのだという。
それはあのおじさんによく似た頭髪の薄い男で、ほんの一瞬、永波さんの視界の隅にあらわれては電灯のスイッチを切り替えるように消えていく。そんな時には決まって「店内が寒すぎる」とか「酒が傷んでいる」というようなクレームが入るのだそうで、永波さんは内心、またかよ……とうざったく思っていたそうだ。
店長との関係も切れ、アルバイトも辞めた永波さんだが、いまでもたまにその店の前を通ることがある。以前にも増して流行っていない様子だが、それでもなんとか営業は続けているらしいとのことだ。