悲鳴窟

怪談その他

【実話怪談】山でサヨナラ

京香さんの趣味は登山である。以前の会社で仲の良かった同僚の影響だが、いまでは関東、東北地方の山はひととおり踏破したという。
再就職先でも山仲間が見つかれば、と思っていたところ、直属の上司にあたる魚尾という男が、
「山好きなんだって? 実はおれもなんだ。今度一緒に登ろうよ」
そう声をかけてきたそうだ。
京香さんは内心「ゲッ」と思った。
魚尾は、セクハラ紛いのジョークを連発するせいで、周囲から疎んじられていたのだ。
適当な口実で逃げようとしたが、誘いを断るのが苦手な京香さんは結局、魚尾と山に登ることになってしまった。

当日、京香さんの気分は沈んでいた。
登山口に近い駅のホームで魚尾の顔を見た瞬間、身体まで重くなった気がした。
とぼとぼと歩を進める京香さんに対して、魚尾のテンションは高い。
しつこく彼女にじゃれつき、山道の草花に嬌声をあげては自慢の一眼レフを構え、頑是ない少年のごとくはしゃぎながらコースを進んでいく。
ちょっともう無理かも……。
そんな時、京香さんの視界の端で、黄色いものがちらついた。

猫を一回り小さく、あるいは鼠を一回り大きくしたくらいの、小人だった。
そんな小人が、三角帽に黄色い服という、まるで絵本の世界から抜け出てきたような格好で、彼女の前方数メートルをスキップしながら進んでいく。
極めて異常な状況だが、京香さんは、
(ああ……小人さんが歩いている……)
とぼんやり考えていたそうだ。
(こんなかわいい小人さんに出会えるなんて、運がいいなあ……)
無性にハッピーな気持ちでしばらく歩いていたら、とつぜん、小人が振り向いた。
平面的な、点と線だけの顔だった。
ハッと足を止めた瞬間、小人の口が腹話術人形のようにパカッと開いて、

《山でサヨナラ、いないいない、ばあッ》

歌うような節回しでそう言うと、意外な俊敏さで藪のなかに消えていったという。

気づいた時には、魚尾はいなかった。
山腹や山頂の休憩所にも姿はない。当然、京香さんは慌てたが、電波の入るところまで来たら「先に下山します」という素気ないメッセージが届いており、なんだこいつ、と腹立たしく思った。

翌日、魚尾は会社を休んだ。
そしてそのまま出社することなく、気づいたらデスク周りが片付けられていた。実家に不幸があり郷里に帰ったとの話だった。京香さんは別に詮索もしなかった。

一度、ケータイに魚尾から不在着信が入っていたが、かけ直しもせず着信拒否にしたそうだ。