悲鳴窟

怪談その他

【読書感想】『煙鳥怪奇録 足を喰らう女』(竹書房怪談文庫)

 

"The horror! The horror!" ──Joseph Conrad "Heart of Darkness" 

怪談蒐集家・煙鳥が集めたネタを、吉田悠軌、高田公太の実力派二人が「書き直す」シリーズの第三弾。
全二作と比べても相当に実験的な作風で、それぞれに意匠を凝らした語り口を楽しめる。
以下、特に惹かれた話を三篇ずつ挙げる。

「雪夜の声音」「議事録」「寝言アプリ」(吉田)
「採集の夜」「はんぺん」「ミティドゥエ」(高田)

こう見ると吉田パートでは、体験者→煙鳥→本書執筆者という枠物語としての構造が顕著に見られるように思う。「議事録」「寝言アプリ」はまさにそれで、普段ならしない手法で遊んでやろうという意気込みが感じられる。「雪夜の声音」も、氏にはめずらしい一人称怪談。
一方の高田パートは、これぞ高田怪談といった語りの妙を味わえる「採集の夜」、お手本のような瞬殺不条理譚「はんぺん」、タイトルのまわりを衛星のように恐怖が周回する「ミティドゥエ」など、相変わらずバラエティに富んだ書きぶり。
煙鳥の元ネタを知っている方は、本書と照らし合わせて読んでいくと、実話怪談を「書く」トレーニングになると思う。技の見本市みたいな本だ。

表題作の話をしよう。
「足を喰らう女」は曲者揃いの本作の中でも、否、実話怪談本の歴史の中の中でも、きわめて特異な物語構造を持った怪談だ。
物語の発端は、煙鳥のもとに届いた一通のメッセージである。送信者は笹川美恵なる女性。更にもう一人、笹川に近づこうとする謎の女性Hの存在があり、本作はまずもって、彼女たちの<関わり>の顛末を描いた物語といえる。
なのだが、これがそう一筋縄ではいかないのだ。
体験者・笹川からもたらされる話をもとに、怪異の正体を追い求める煙鳥(含む怪談ジャンキーたち)。こうした作中のあれこれは、執筆者・煙鳥によって俯瞰され、その背後には、煙鳥の文章に加筆修正を施す高田公太のまなざしが存在する。それらを順に整理すると、

1笹川
2煙鳥(作中)
3煙鳥(執筆者)
4高田

となる。数字が下るほど、語りの位相は現実、すわち本書を手に取った私たち読者のそれに近づいていく。ここまででも、尋常の実話怪談にはまず見られない複雑な容れ子構造が採用されている。
ただし、この物語にはより深い<闇の奥>がある。
それについて言及してしまう行為は、さすがにネタバレの誹りを免れないだろうから、ここまでにしておくが、本書を読み終えた読者は、怪異の主体である女性Hのみならず、この物語に関わったすべての人物の妄念と狂気に打ちひしがれることだろう。

怪談本のエポックとなった本シリーズの中でも、ひときわ異彩を放つ巻であることは間違いない。

【腐茸会 活動報告】『ピェール 黙示録よりも深く』読書会

【課題】ハーマン・メルヴィル/牧野有通訳『ピェール 黙示録よりも深く』(幻戯書房
【日時】2023年4月22日(土)12:30〜17:00
【場所】喫茶室ルノアール新宿役所横店 
【参加】7名

数年ぶりの対面読書会、しかも課題本が課題本なのでどうなることかと思っていました。

が、蓋を開けてみれば一人では得られない発見が多くあり、上下巻¥8000となかなか手に取りにくいお値段ではあるものの、だからこそ思いっきり楽しんでやるぜという、参加メンバー裂帛の気合いを感じました。あなたたちは尊い

以下、会ではこんな意見が出ました。

・小説としてのイベントは少なめ。若者が懊悩し出すと解説おじさん(語り手)が何事かをツッコんでいく構成。
・クズ長男文学としてなかなか奮っている。ピェールもうちょいちゃんとせえ。
・冒頭、超絶主義(エマソンとかソローとか)の人として立ち現れたピェールが暗黒ロマン主義ホーソーンメルヴィルその人)に堕ちていく過程を描いている。
・ビルドゥングス・ロマン的導入からイザベルの登場後は一転、成熟に抗うかのような生き方を選び取っていく(メンターとなる父的人物の否定)。
・ありとあらゆる規範(主にキリスト教的価値観)と百人組手をしていく小説。
・手紙、顔、自然など多くの事物が「読む」べき対象として提示された次の瞬間、「読めない」ものとして反転してしまう。要するに極めて表層的、記号的な小説であって、各々の登場人物が「読めない」ものから勝手に意味を読み取り、充填していくことで物語が駆動していく。そのため「黙示録よりも深く」という副題(原題はThe Ambiguities=曖昧性、両義性)はあまりハマっていないのでは?
・単純なものが曖昧なものにとらわれることで破滅していくという構造は遺作『ビリー・バッド』にも共通している。ただ『ピェール』の場合、彼の周辺人物が軒並み不幸になっているからすごい。全員破滅させている。
・母を姉に、姉を妻に、婚約者を従姉妹にというように、関係の偽装(pretend)のモチーフが反復される。ピェールとグレンの関係もそうだが、役割の交換可能性が幾度も描かれることで、唯一性がどんどん揺らいでいく。
キリスト教に対する批判がメインだが、参照される引用としてはギリシア系が多い。また人名「ピェール(Pierre)」の語源はギリシア語で「石」。神々との戦に負けて火山を背負わされた巨人エンケラダスに自分を仮託するピェールには、常に「石」のイメージがつきまとう。同時にイザベルの顔が石化の瞳を持つ妖女ゴーゴンになぞらえられていることも示唆的。
・プリンリモンの存在はわりと謎だが、イザベルとほぼ同様、彼の顔について殊更に「神秘性」が謳われている箇所がポイント。神秘性のヴェールを剥がされたイザベルは、実のところ、単に幼いだけの女性であり、そうであってみればイザベルと対置されるプリンリモンもおそらくは中身のない人物なのではないか?
・物語後半、ルーシーが都会に出てきたあたりからイザベルの神秘性が急速に失われ、俗っぽくなる(相対化?)。というかルーシーは再登場時にキャラ変わりすぎでは? イザベルにも言えることだが、女性の内面を描く描写がないので、なにを考えているかよくわからない(メルヴィル自身は女性読者ウケもいいにちがいない!と思っていたらしいが……)。
・「イザベルが本当の姉なのか?」という問題は『白鯨』における「エイハブ船長の足を食いちぎったのはモービィ・ディックだったのか?」という問題に通じる。白鯨=モービィ・ディックであるという妄念=物語によって破滅へと導かれていくエイハブとピェールは多くの面で二重写しになる。曖昧に配置された点と点を線で結び、意味をつなげていくことの批判になっている。19世紀に書かれたとは思えないほど現代的な小説。
・最終章では2のモチーフが頻出する。また全編通して演劇的な台詞回しが多いため、上演してみてもおもしろそう。
・実は笑える箇所も多い。イザベルという神秘、ピェールの全集本目次、膨張ワンダーランド社、ドナルド・マック・ドナルド……etc。

上巻の特に前半部分はかなりキツかったけど、後半になるにつれてきちんと小説的な盛り上がりも見せてくれるので、リーダビリティはそこまで低くなかったかな、という印象です。
それぞれの多様な読み方が多く開陳され、脳の回路が開きまくる実に貴重な会でした。参加者の皆様、あらためてありがとうございます。

次回の課題本と日時は決まり次第、またTwitterにて告知します。
カリブ海文学か中上健次の気運が高まっているので、どちらかかな?

【読書感想】川奈まり子『家怪』(晶文社)

 

川奈まり子氏は現今、実話怪談をものする作家の中で、トップクラスのネタ量を有する方と言われている。
が、一度でもその著作に触れた者ならわかるだろう。川奈氏ほど、質か量かという二分法が当て嵌まらないタイプの作家はない。文章の風格、構成の巧み、怪談とその周辺文化に関する知識といった面でも、他の追随を許さない境地にある。

本書『家怪』はタイトル通り、全篇、家と家族にまつわる実話怪談によって構成されている。昨年、夜馬裕氏の『自宅怪談』(イースト・プレス)が出たばかりで、正直またか……とやや食傷気味だったのだが、そこはさすがの川奈氏、本書では地縁と血縁の両面から怪異に迫るスタイルを徹底している。
大きな特徴として挙げられるのは、ディティールへの偏執的なまでのこだわりだ。怪異の舞台は家であり、家族。またその舞台が単なる背景にとどまらず、怪異それ自体の根幹に関わるものであってみれば、単に「起きたること」を描写するだけでは不充分だろう。
当該の家と家族、その附属物の顔が、怪異の目鼻立ちになると言えばよいか。物をしてモノを語らしめる、川奈怪談の真骨頂である。
すなわち、土地の歴史、親族構成、間取り、家具、調度品、装飾品……など、その家を構成するすべてに骨絡みするいわく因縁の数かずを、川奈氏はたおやかになぞっていく。そのしぐさがいささかエモーションに傾いたかと思えば、次の瞬間にはドライに突き放す、まこと縦横無尽な筆の冴えといえよう。

また実話怪談とは、体験者の人生の一部を切り売りする文芸の形式である。更に言えば、実話怪談はその客体化の方法の、決して少なくない部分を私小説に負っている、というのがわたしの持論(私小説、実話怪談ともに我が邦で畸形的な発達を遂げてきたジャンルである)なのだが、本書巻頭の「さとがえり」と題された一篇こそは、実話怪談が私小説へと里帰りした幸福な物語ではないだろうか。
自身の薄明の記憶をさかのぼり、夢と現、虚構と現実のあわいに遊ぶノスタルジックな世界観は、フッサール現象学精神病理学華厳経の知識に基づいて、生まれ育った盛岡、弘前の思い出を美しく描いた石上玄一郎の諸作や、日本民俗学の始祖・柳田國男のあのナイーヴな自伝『故郷七十年』にも比肩し得る。まさしく風味絶佳。

そういうわけで、本書に収録されたその他の作品には、ほとんど手をつけずに筆を置く。この話がよかった、あの話が好き、と盛り上がるのは怪談本の醍醐味のひとつにちがいないけれど、それとはまた異なるかたちの、実話怪談と他ジャンルとを横断乃至架橋するようなレビューを模索していたのだ。というのも、川奈氏ほど強烈な個性と筆力を兼ね備えた方の著作を、実話怪談というお世辞にも広いとは言い難い世界の言語で語り尽くせるとは、到底、思えなかったから。

すでにして古典の趣を感じさせる、とてもいい怪談本だった。

【実話怪談】カレー屋

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インドカレー屋って初見で入っても、まあハズレないじゃないですか」

亜紀さんはその日、駅前で南アジア系と思しき外国人から新規オープンしたカレー屋の五〇円引きクーポン券をもらった。
ちょうどランチタイムだったので、それならと彼女は駅からほど近いその店を訪れることに。
店内に足を踏み入れると、食欲をそそるスパイスの香りが鼻腔をくすぐる。
無表情な店員の案内で席に通され、本日のオススメだという豆カレーとシークカバブのセットを注文する。ナンは好きだがやや胃にもたれるので、サフランライスを頼んだ。
注文が届くまでのあいだ、手持ち無沙汰の亜紀さんは店内の様子を観察した。
天井近くに設置されたテレビ画面では、インド映画のミュージカル部分だけを切り抜いた映像が流れている。
空調はよく効き、店内は清潔。店員はやや無愛想だが、どこのインドカレー屋もだいたいこんなものだろう。
にもかかわらず、店には亜紀さん以外の客がいない。
──オープンしたばかりで、これはヤバいんじゃないかな?
じきに正午であった。
「オマタセシマシター」と先ほどの店員が盆に載せた料理を運んできた。
来た来た、と亜紀さんは早速、カレーに浸したライスを口に運ぶ。
生臭い、どころではない。
夏場に放置した魚の臓物のような臭いが口中に広がり、亜紀さんはあわててコップの水を飲む。
──うげっ、このカレー腐ってる!
文句のひとつも言ってやろうと振り向くと、すぐ後ろにさっきの店員が突っ立って亜紀さんを凝視していた。
「オネサン、クサイカ? マズイカ? デモショガナイ。アンナノイタラ、ショガナイヨ」
そう言って指差すほうを亜紀さんが見たら、すこし離れたテーブルの下に、人間の、それも女児の顔をした毛むくじゃらの猿みたいな動物がしゃがみ込み、こちらにヘラヘラと笑いかけていたという。
会計も払わず店を飛び出した亜紀さんは、もう二度とそのカレー屋には行かなかった。前を通るのも躊躇した。
そうしたところ、店はオープン間もないというのに不審火で全焼してしまい、一年経った今では餃子が売りの中華料理チェーン店になっている。
亜紀さんはカレーと同じくらい餃子も好きだが、試してみる気にはならないそうだ。

「カレーがダメで餃子はオッケーなんて話はないですもんね」

【実話怪談】殺したゴキブリ

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中津さんが殺したゴキブリの腹から白い小人が出てきて「オ祓イシテモ意味ナイヨ」と言った。
小人はすぐにカーペットの下に潜ってしまい見えなくなったが、それからというもの、夜になると部屋のどこかから「ヒヒヒ……」というか細い笑い声が聞こえるそうだ。
「ゴキブリよりよほどタチがわるいですよ」とは、つい先日、知り合いに紹介された霊能者によるお祓いで110000円をドブに捨てた中津さんの言。

【読書感想】丸太町小川『実話拾遺 うつせみ怪談』(竹書房怪談文庫)

怪談本の感想文を書くのはずいぶんひさしぶりだが、年明け早々、素晴らしいものを読んだので。

竹書房の怪談マンスリーコンテストが輩出した著者による初単著。
帯には「ヴァナキュラー怪談」との惹句が踊るが、ネット怪談によくある「因習めいた村の陰惨な歴史……」といった見世物小屋性とは一味も二味もちがった趣き。

土着の風習や家族ルールにまつわる話、余人には理解できないが、物語の背後になんらかのいわくを感じさせる話、これはなに? と呆気にとられてしまう話、エモ怖、格調高いルポ&歴史怪談……など、内容はバラエティに富んでいるものの、対象となる怪異乃至体験者と筆者の距離感(内部に向ける外部のまなざし)が精確にコントロールされているから、一冊の書物としてのまとまりがとてもいい。

文体は簡潔にして明瞭。描かれている怪異の強度としてはそれほど高くはなく、偶然や思い込み、記憶の齟齬に近いものも多い。にもかかわらず本書には「なにかよくないものに触れた」という強烈な忌避の感覚をおぼえてしまう話もいくつかある。そうしたネタを鳴物入りでジャジャーン! と出してくるのではなく、あくまで淡々とした上品な筆致で読ませる。
怪異の核となる部分をあえて提示せず、行間で読ませるテクニックも冴えわたっており、上手すぎて舌打ちしたくなる話もチラホラ。
いつまでも読んでいたいと思わせる、実にすてきな怪談本だった。

お気に入りの話はたくさんあるが、
「タイムカプセル」
「M先生の笑顔」
「すぐ右側の何かと」
「元彼のY君」
「エンドレス準備運動」
「きっかけ」
「ふえていく」
「手招き地蔵」
「笑い声には気をつけろ」
「長く低く、それでいてよく通る声」
「聖域からの生還」
「竹とんぼ」
などが特に印象に残った。というか収録作全部よかった。

わたしたちはふとした瞬間に、この世の理屈ではわりきれないなにかと縁をむすんでしまうことがある。それをきっかけに人生はすこしずつ混線してゆき、そうして気づいたときには、わたしたちの人生は、自分のものだかだれかのものだかよくわからないものになっているのではないか。
漠然とそんなことを考えながら日々怪談を集めては書き、また読んでいるのだけれど、その意味でものすごく心強い作家に巡り会えたなという思い。次巻も楽しみにしています。

白シャツ

大学院生の吉永さんが友人であるS宅を訪ねると、お揃いの白い襟なしシャツを着た四、五人の男女がアパートの前にたむろしていた。円陣を組んで顔を突き合わせ、何事かをひそひそと相談している様子である。
わきを通りすぎる際にチラッと見れば、彼らの着ているシャツの左胸には赤い糸で三日月のようなマークが刺繍されていた。
「変なやつらがいなかったか?」
部屋に入るなり、Sはそう訊ねてきた。まだ明るい時刻だというのに、カーテンを閉め切っている。
「いたよ。なんだあれ? 宗教の勧誘か?」
「わからん。昨日からずっとつけられてる」
吉永さんは「こいつ大丈夫か?」とSの顔をまじまじと見つめたが、どうやら本気で言っているらしい。常にない、おびえた表情を浮かべている。
「追われるようなことをしたのかよ?」
「心当たりはある。大学裏にあるカラオケ屋、わかるだろ?」
「ああ、ボヤ出して閉店したところか。それがどうした?」
「昨日あそこに彼女とおれとで……なんというか、忍び込んだんだ。それで、あんまりこう……他人には言えないことをしたんだが、その時から監視されてるみたいなんだ。彼女はいまじぶんちで、怖くて外に出られんらしい。おれもそうだ」
ちょっと彼女の様子を見てきてくれよ、と頼まれた吉永さんがひとまずベランダに出て外を確認したところ、白シャツたちの姿がない。
「もういないみたいだよ」と言いながら部屋に戻ると、Sは煙のように消えていた。玄関の鍵はかかったままで、靴も残されていたという。
彼女とも連絡が取れないまま、五年が経とうとしている。