悲鳴窟

怪談その他

【実話怪談】おれ憑き

「きみの背中に『おれがついてる』んだ。気味がわるいからどうにかしてくれないか」
唐突にそんなことを言われて、酒見さんは動揺した。
相手は仕事上の同僚にすぎない葛西という男で、その時はたまたま会社の喫煙所で一緒になったのである。
「言ってる意味がわかりませんけど」
「意味はわかるだろ。きみの背中に『おれがついてる』んだ。なんのつもりか知らないけれど、いやがらせも大概にしてほしい」
「『ついてる』って」
「なにか誤解があってのことかもしれないが、迷惑なんだ。やめてくれ」
怒気をはらんだ、攻撃的な口調であった。
おまけに言っていることがいわゆる電波系というか、なにかよくないクスリでもやっているのではないかと思わせる。
刺激してはいけないタイプの人に特有の凄味があった。
ここは適当に話を合わせておいて、あとで上司に報告しよう。
酒見さんがそんなふうに思っていると、
「ちょっと後ろを向いて」
と葛西が言った。有無を言わさぬ調子であった。
こんなわけのわからんことを言う男に背中を見せるのは不味い、と本能が警鐘を鳴らすのだけれど、下手に逆らうのもおそろしいので、酒見さんは言うとおりにした。
背後で、カシャッ、とスマホのシャッター音がする。
「ほら、おれだろ、よく見てみろ」
言われるままにスマホの画面をのぞきこんだ酒見さんは絶句した。
写真にうつる酒見さんの背中一面に、巨大な男の顔が浮き上がっていたのである。
坊主頭に団子鼻、仏像のような半眼をしたふくよかな顔は、目の前にいる葛西の顔とは似ても似つかない。
「こうして証拠もあるんだ。きちんと対処してくれよ」
そう言って顔を近づけてきた葛西の口から、腐敗した玉ねぎのような強烈なにおいが漏れてきた。
酒見さんはそれから精神のバランスを崩し、数ヶ月間休職した後、会社を退職したが、葛西はまだそこに勤めている。
この頃では責任のある仕事を任されるようになり、同じ部署で働く女性と結婚もして、順風満帆な人生を送っているらしい。
その後、酒見さんは自身の背中に浮かび上がる男の顔を目にしたことはないし、だれかに指摘されたりもしない。
葛西のほうでなにか言ってくることもなかったが、この一件と関係があるのかないのか、酒見さんは最近、ひどい腋臭に悩まされている。
「我ながら死にたくなるようなにおいで、まるで玉ねぎが腐ったみたいなんですよ」
酒見さんはそう言って、深々とため息をついた。