悲鳴窟

怪談その他

【実話怪談】厭な女

安曇さんは今年で四十二歳になる都内在住の女性である。
四年前に結婚した彼女は、二年間の不妊治療を経て、待望の一女をもうけた。
夫は家事にも子育てにも協力的な、おだやかな人である。
娘も元気に育ち、義父母との関係も良好、職場復帰も実にスムーズだった。

そんな安曇さんがはじめてそれを見たのは、新婚の頃のこと。
夕飯の支度を終えた安曇さんが夫の帰りを待っていると、玄関のほうからいきなり、バタバタバタッ、という足音がした。
次の瞬間、リビングの扉が乱暴に開かれ、そこに立っていたのは、艶のない黒髪を振り乱した中年の、それも裸の女だった。
女は呆然とする安曇さんを指差すと、
「交通事故!」
と叫んでゲラゲラ笑い出した。
身を捩らせて笑い転げる女の垂れ下がった乳房が揺れ、腹と太腿の肉が震えている。
女はしばらく笑い続けた後、煙のようにかき消えた。
安曇さんは恐怖で硬直していたが、そのうちに「交通事故」という言葉のほうが気になってきた。
これはなにかの予兆で、女の言っていたとおり、今頃、夫は事故に巻き込まれているのではないか。
不安になった安曇さんが夫のケータイに電話をかけると、何度か呼び出し音がした後に、
「どうしたの? なにかあった?」
という夫の声が聞こえてきた。

それからというもの、全裸の中年女はしばしば現れるようになったのである。
出てくるのは決まって、安曇さんが家にひとりでいるときだが、口にする文言はその都度異なる。

夫の昇進が決まった時には「不倫!」
不妊治療を決心した時には「種無し!」
弟が鬱で休職した時には「首吊り!」
友人の保証人になった時には「破産!」

幸いこれまで女の言葉が真実になったことは一度もないのだけれど、妊娠超初期のタイミングで「流産!」と言われた時には、こわさも忘れて、女に殴りかかろうとしたそうだ。
その時に限っては、女も耳障りな笑い声をあげることなく、慌てたような感じで消えていった。

一度だけ、妊娠を報告しに夫の実家を訪れた際、義母から、
「面倒だと思うけど『あれ』はあれだけのものだから、相手にしちゃダメよ」
と言われたことがある。
畢竟、夫の家になんらかの因縁があるのだろうが、いまでは安曇さんも、そういうものだから、と割り切っているのだという。
「とにかく厭な女だけど、所詮、生きてる者をどうこうするなんてできっこないんです。哀れな存在だなと。それだけですよ」
安曇さんはそう言って、にっこりと笑った。