悲鳴窟

怪談その他

【実話怪談】ポチョン

インドネシアから来た留学生のアニサさんに、
インドネシアのお化けの話、なにかありますか?」
と訊いてみたところ、
「ポチョンが有名ですね」
と即答された。

寡聞にしてわたしはポチョンなるお化けがどんなものかを知らない。
それで職権を濫用してしつこく追求すると、なかなかおもしろい話を聞かせてくれた。おまけにアニサさんの親戚のおじさんが、そのポチョンに出くわしたのだという。

以下にアニサさんから聞いたそのおじさんの体験談を記すが、そもそもポチョンとはどんなお化けなのか、彼女の話をもとに、まずはまとめてみよう。

インドネシアでは、死後、埋葬された人間が墓から抜け出してうろつきまわるという言い伝えがあり、この歩く屍体のことをポチョンと呼んでいる。
当地では埋葬の際、死者の身体を白い布(カイン・カファン)でぐるぐる巻きにする風習があるのだが、ポチョンはその格好であらわれる。手足は紐で縛られているから、びょんぴょんと飛び跳ねるように移動するのだという。

とはいえ死んだ人間がみなポチョン化するわけではない。ポチョンになるのは、生前に悪いことをした者や信仰を棄てた者とされている。
尋常の死人の場合、埋葬後しばらくすると先に述べた白い布がほどけ、肉体が土に還る。しかし悪事を働いた者の死体はそのままのかたちを保ち、ポチョンとして復活するのである。
中国の殭屍や中東欧に伝播する吸血鬼の伝承によく似ているけれど、積極的に人を襲うとか取り殺すというよりは、夜道にボーッと立って人を驚かすとか、そういう話が多いそうだ。

さて、ここからはいよいよアニサさんのおじさんの話に入る。

インドネシアのわりかし田舎のほうにあるというアニサさんの実家は大家族で、どういう血のつながりがあるのかもよくわからない親戚が数人、居候のようなかたちで身を寄せていたのだという。
そのなかにひとり、近所の評判が著しく悪いおじさんがいた。
おじさんの名前も聞いたはずだが、異国の人名ということもあってか、すっかり忘れてしまったし、そもそもこの話に出てくるおじさんはそのおじさんだけなので、ここでは仮名を使わず、単におじさんと呼称することにする。

このおじさん、ムスリムであるにもかかわらず昼日中から酒を飲み、同じような酔漢に喧嘩を売ってはボコボコにされ、いかがわしい賭け事に手を出したと思えば即座にすっからかんになり、そのたびにアニサさんの両親や祖父母に金を無心していた。
若い頃は田舎ヤクザの使い走りをしていたとか、首都でポン引きの真似事をしていたとか言われていたが、定かではない。
とにかく面倒事の絶えない人物で、密造酒の製造に関わっているともささやかれていた。
おじさんがどこからともなく携えてきては近所の不良どもに売り捌く怪しげな酒は、アニサさんの言葉をそのまま用いるなら「ねずみが死んじゃうお酒」と呼ばれていたそうだ。畢竟、「ネコイラズ」とかそんなふうな意味だったのだろう。
親戚に無心して作った金も底を尽きると、じぶんでその「ネコイラズ」をがぶ飲みして酩酊するのが、おじさんのいつものパターンだったという。

その晩も、どこぞの路地裏でしこたま売り物の「ネコイラズ」を聞こし召したおじさんは、千鳥足で帰宅した。
時刻は午前二時をまわっていた。アニサさんたち家族はみな寝静まっている。
じぶんの部屋に戻り、ベッドに倒れ込んだところで、おや? と思った。
おじさんは抱き枕を愛用していたのだが、いつもの位置にそれがなかったのだ。
おおかたベッドの下に落ちたんだろう。
そう考えたおじさんは横になったままベッドの下をまさぐった。
なにかが手に触れる感触があった。
硬い。そして、おそろしく冷たかった。
いったいなんだ、これは?
ひょいとベッドの下を覗き見た瞬間、おじさんは家族全員が目を覚ますほどの大音声で悲鳴をあげた。
起き出してきた家族が駆けつけてみると、おじさんは部屋の隅にうずくまり、まるで電気ショックを流されてでもいるように、ビクンビクンと震えていた。アニサさん曰く、小便も漏らしていたようだった、という。

おじさんはその日から譫言のように、
「ポチョンだ、ポチョンだ、ベッドの下にポチョンが寝ていた、おれは見た」
と繰り返すようになり、廃人同然になってしまったそうだ。
それでも酒だけはやめず、毎日のように酩酊していたが、ある日、酔った勢いで喧嘩をした相手にナイフで刺されて死んだ。
葬儀に参列した人たちは、くだんの白い布を巻かれたおじさんの遺体を見て、
「あいつはポチョンを見たそうだ」
「ポチョンに連れて行かれたのか」
「あいつもポチョンになるんだろうな」
と口々に言い交わしていたということである。