久野さんが小学生の頃、近所に評判の幽霊屋敷があった。
一家心中があったとか一人暮らしの老人が暴漢に殺されたとかいろいろ噂は囁かれていたが、真偽のほどはわからない。
出るとされる幽霊についても、赤い服を着た女、和装の老女、おかっぱ頭の子供、と情報が錯綜している。
つまりはただの廃屋にすぎず、皆がみな、勝手な幽霊像をそこに投影していたのだろう。
ある時、その廃屋は取り壊されて、跡地には二階建ての一軒家が立った。
越してきたのは山田という一家で、そこの息子が、偶然にも久野さんのクラスに転入してきたのだという。
最初のうちこそ注目されていたが、山田くんは無口でなにを考えているかわからない子だったから、次第に相手にされなくなった。
ある朝、久野さんが登校すると、教室にはまだ山田くんしか来ていない。
久野さんが「よお」とかなんとか言いながら席に着くと、山田くんがすーッという感じで寄ってきて、
「今日の放課後、うちの幽霊を見に来ない?」
と言った。
久野さんは思わず「えッ?」と声を上げたが、山田くんはニヤニヤしながらじぶんの席に戻っていく。
なんて気持ちのわるいやつなんだ……。
愕然としているところにクラスメイトが数人入ってきて、その場はそれまでになった。
久野さんは山田くんと親しいわけではない。話したこともあまりない。だから当然のように、山田くんの誘いを無視した。というか、そんなものはなかったように振る舞ったのである。
その日は極力、山田くんと目を合わさないようにして、帰りの会が終わると同時に教室を飛び出し、我が家まで全力疾走したのだ。
家に帰ると電話が鳴っていた。それは母親からで、帰りがすこし遅くなるという。
受話器を置いた矢先に、また電話が鳴った。反射的に取ると、電話の向こうから、
「もしもし、山田の家の幽霊ですけど」
と女の声が聞こえてきた。
久野さんは一瞬、硬直した。
いま、山田ん家の幽霊って言ったよな?
ぞッとして電話を切った久野さんは、母親が帰宅するまでテレビの前で震えていたそうだ。
その晩、久野さんは夢を見た。
知らない女が久野さん宅の玄関口に立っている夢だった。女は、
「あたしがそうだよおおお」
と言いながら、ガクガクと前後に首を振っていた。
翌朝、久野さんは父親の怒号によって目を覚ました。
玄関の上がり框に、一房の長い黒髪がきれいにそろえて置いてあるのを、新聞を取りに行った父親が見つけたのだ。玄関付近は、ほのかに唾液のかわいたようなにおいがしたという。
泥棒か不審者にちがいないと被害届も出したが、変事があったのはその一度きりで、結局は有耶無耶になってしまった。
それから久野さんは、卒業まで一切山田くんと口をきかなかったし、山田くんのほうでもなにか言ってくることはなかった。
山田くんは数駅離れたところにある私立の中学に進み、久野さんは高校を卒業してすぐ上京したから、山田くんがいまどこでなにをしているか知らないし、正直、ぜんぜん知りたくないということだ。