悲鳴窟

怪談その他

【実話怪談】ヨシコのことはもう忘れて

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若松さんが東北地方の某県に出張した時の話である。

その日の仕事を終えた彼は、軽く酒でも飲みたい気分になり、ホテル近くの繁華街をぶらぶらと流していた。
すると道の向こうから、手を振って近づいてくる者がいる。
スーツ姿の若い男で、最初、若松さんは客引きかと思ったが、それはKという学生時代の友人だった。
「ひさしぶりだなあ!」
と破顔するKをまじまじと見て、若松さんは「ん?」と思った。
若松さんが大学を卒業したのは二十年以上前だが、Kの容姿は当時からほとんど変化していないのである。
最近ではアンチエイジングの技術も発達しているとはいえ、あまりに若すぎやしないか? 
若松さんは奇妙に感じたが、Kはというと、彼に出会えたのがそんなにうれしいのか、数年前からこの街で働いていること、昔の友人たちとはぜんぜん連絡を取っていないこと、これから飲みに行くところであることなどをまくしたてた。
しぜん、どこかで一杯やろう、という流れになったのだが、
「近くに馴染みの店があるんだ」
と言うKの後についていくと、東京でもよく見かけるチェーンの居酒屋に入っていくので、若松さんはガッカリした。せっかくならその土地のものを飲み食いしたかったのだ。
半個室になったテーブル席に通されると、Kは手慣れた様子で卓上のタブレットを操作し、酒や料理をどんどん注文していく。
さすがに頼みすぎではないか、という若松さんの不安は的中した。
最初の一杯を飲み終える間もなく、テーブルに乗り切らないほどの料理が届きまくり、しかもそのどれもがなんてことないチェーン店の味というか、端的に言って冷凍食品レベルである。
こんなヤツについてくるんじゃなかったな、と後悔しはじめた若松さんを尻目に、Kは「美味い美味い」と連呼しながらものすごい勢いで食べ且つ飲み、ノンストップで喋り続けた。
適当に相槌を打ちながら飲んでいるとトイレに行きたくなったので、Kにそう言って席を立った。
妙に薄暗いトイレで若松さんが用を足していると、入り口のドアがスーッと開き、となりの小便器の前にだれかが立つ気配があった。
チラリと横を見た若松さんは仰天した。
巨大な男が立っていたのである。
優に二メートルはある巨体もさることながら、真に異常なのは、男の顔だった。
男は顔面に一枚のお札を貼りつけていたのだ。
あまりのことに全身が硬直してしまった若松さんをよそに、お札の男はさっさと用を済ませ、足音も立てずに外に出ていった。
男の姿が見えなくなった途端、若松さんの心臓は早鐘を打ちはじめた。
いまのはいったいなんだ?
霊幻道士』のコスプレだろうか? 
それにしては、お札以外はいたって普通の服装だったし、こんな居酒屋の店内でコスプレをしてふざける人には似つかわしくない、差し迫った雰囲気があった。
とにもかくにも気味がわるすぎる。
店を変えるか、もっと言えば、はやくホテルに帰りたかった。
あんなKなんて男についてきたおれがバカだった、と若松さんは思った。
Kとは大学でも何度か同じ講義に居合わせた程度でロクに話したこともないし、そもそもあいつは大学二年か三年の夏に、女性に乱暴したとかそんな理由で大騒ぎになり大学を辞めていて、それからしばらくは実家に引き篭もっていたのが、精神に錯乱をきたして、母親だか姉だかを刃物で切りつけ、強制入院させられたという話ではなかったか。それなのにどうしておれはあんなやつとこんなところで酒を飲んでいるのか。ちょっと待ておかしくないか?
いまのいままで、そんなことを忘れてKと酒を酌み交わしていたことが、若松さんには信じられなかった。
というか、あれはほんとうにKなのだろうか?
Kのこともそうだが、さっきの男は何者なんだ?
若松さんはどんどんおそろしくなってきた。
できるならこのままホテルに帰ってしまいたかったが、財布やパソコンの入った鞄をそのままにしておくわけにはいかない。
おそるおそる、若松さんが席に戻ってみると、そこにKはいなかった。
入れ替わりでトイレに行ったのか?
いや、店のトイレは一箇所しかないから、そうであるなら途中で出くわしているはずだ。
電話でもかけに店の外に出たのかもしれない。
その場合、こちらが店を出るタイミングで鉢合わせする可能性もあり、そうなるのは避けたかった。
どうしたものかと逡巡していると、通りがかった店員に、
「お連れさまは帰られましたよ」
と声をかけられた。
「急用ができたとかで、これまでのぶんのお会計は済ませて行かれました」
そう聞いて若松さんは狐につままれたような気がしたが、これでもうKと顔を合わせることはないわけだ。
人心地がついたとはいえ、どこか別の店で飲み直す気力もない。
おとなしくホテルに帰ろうとコートを着たところで、ポケットの中におぼえのない感触があることに気づいた。
取り出してみると、それは青海波の柄が入った黒い巾着袋で、数珠入れのように見えた。
開けないほうがいいのだろうな、と考えながら、若松さんは巾着の紐を解いていった。
袋の中には一枚の写真が入っていた。
それは河原のような場所で撮られた男女のツーショット写真だった。男性の顔の部分だけが、ボールペンで雑に塗りつぶされている。
若松さんは写真を巾着に戻すと、テーブルの隅にそッと置いた。
その瞬間、
「ヨシコのことはもう忘れて」
不意に背後から声をかけられた。
若松さんが振り向くと、先ほどのお札男が個室の中を覗きこんでいた。
思わず悲鳴をあげた若松さんに、男は再度、
「ヨシコのことはもう忘れて」
と念押しのように言い放つと、店の奥に消えていった。

それから半年ほど経った頃、若松さんが近所の居酒屋で飲んでいると、隅のテーブル席にいる男女のふたり連れが、明らかにじぶんのほうを見ながらコソコソと会話を交わしているのに気づいた。
気分を害し、そちらのほうを見やった若松さんは、そのまま立ち上がり、レジへと急いだ。
一瞬、若松さんと目が合った女性は、どう見てもあの写真の女だったのである。
男性のほうもたしかに見たはずなのだが、顔の部分だけに靄がかかったようになってしまい、いまでは、どうしても思い出すことができない。