悲鳴窟

怪談その他

【実話怪談】呪殺先生

とにかくおかしな教師だったのだそうだ。

「いまでも思い出すと気分が落ち込みますね。同窓会なんかでも、その話題はタブーになってますよ」

わたしと同年輩の鷲尾さんが中学三年生の時の担任は、生徒からの評判がおよそ最悪であった。
当時四十そこそこだったはず、というその男性教諭は苗字も名前も物凄く珍しい人で、姓に至っては、全国に百人程度しか存在していないらしい。

わたしは普段、人から聞いた話を怪談として文章にする際には、人名を、その時に思い浮かんだ任意の仮名にて表記するようにしている。
が、鷲尾さんから聞いたその教師の名前は相当のインパクトで、以下に記す話が孕む不穏さに一脈通じるものがある。わたしとしてはそれに匹敵する仮名をなんとか捻り出そうとしたのだが、ついに諦めた。
ゆえにここでは、その教師を仮にBと呼称するが、これもまたわたしが無作為に選んだアルファベットにすぎず、彼の本来の姓名とは一切関係がないことを付言しておく。

鷲尾さんの中学校にBが赴任してきたのは、彼が二年生の時である。
春休み明けの全校集会で挨拶するBを見て、鷲尾さんがおぼえた第一印象は、「面倒臭そうなヤツだな」というものだった。

ガリガリに痩せた体躯は粘土のような顔色とあいまって、死神か貧乏神を思わせる。整髪料のつけすぎで黒光りする髪は不自然にカールして、前髪が額にぺったりと貼り付いていた。
体格に似合わない野太くよく響く声で、なにか非常に暑苦しい挨拶をしていたと記憶しているが、無論、鷲尾さんもその内容まではおぼえていない。

Bは鷲尾さんの一学年上、つまり三年生のクラス担任を受け持つことになったが、その悪評はすぐに学校中に知れ渡ることになった。
なんでも生徒の些細な振る舞いで気が触れたように激昂し、教室だろうが職員室だろうがお構いなしに、当該の生徒に対する悪罵を大声で怒鳴り散らすのだという。

「三年生のなかには『あいつだけは殺す』って息巻いてる人もいたみたいですよ。おれの部活の先輩もそこまで過激なことは言ってなかったけど、かなりムカついてたみたいですね」

Bは女子テニス部(その中学校には男子テニス部が存在しなかった)の副顧問をつとめることになり、案の定、部員たちからも蛇蝎のごとく嫌われた。Bがあまりに最悪であるとの理由で、退部した者も何人かいたと聞く。

とはいえ鷲尾さんを含めた二年生のほとんどは、じぶんらにはあまり関係ないな、と思っていた。
なぜならその中学校は、三年生を卒業させた教師は次の新入生のクラスを受け持つ、というローテーションになっていたからで、畢竟、いまの二年生がBと接する機会はほとんどない、とタカを括っていたのだ。

しかしその翌年度、どういうわけかBは鷲尾さんの学年の、それも彼のクラス担任になってしまったのである。

「進路指導の実績を買われたとか、そういうんじゃないと思いますよ。もっともうちの中学、別に進学校ってわけでもないんでねえ。九割がた、地元の公立に進んでましたから。おれもですけど」

最初のホームルームの時間、Bはクラス全員を順番に黒板の前に立たせ、今後一年間の抱負を述べさせたという。
ふざけて笑いをとろうとしたり、適当なことを言ってお茶を濁そうとしたり、はなから反抗的な態度だったりすると、Bはその都度、大袈裟に舌打ちを打ち、ガンを飛ばすなどしていたが、みなが抱負を述べ終えると、

「いまのでわかったが、このクラスにも何人かふざけた連中がいるらしい。言っとくが、おれに楯突こうなんて思わないことだな。その気になれば、おまえらごとき、簡単に呪い殺せるんだ」

と言った。

鷲尾さんは「は?」と思った。
何人かの生徒は声に出してそう言っていた。

「呪い殺す」という剣呑な言葉が、仮にも教育者たるBの口からスムーズに飛び出したので、クラス中が呆気にとられたのである。

そしてBは、それからことあるごとに「呪い殺す」を連発した。

遅刻してくれば「呪い殺す」、忘れ物をすれば「呪い殺す」、授業中の私語にも「呪い殺す」、寝ていればもちろん「呪い殺す」。

「最初のうちは、正直、ちょっとおもしろがる空気もあったんですよ。物真似が流行ったりして。ただそれがほぼ毎日ですからねえ。おまけに」

Bは毎回、狂人のように激怒し、別のクラスの教師が様子を見に来るほどの怒号を発するのである。
当の鷲尾さんも提出物を出し忘れてしまったときに、Bに大声で叱責され、「舐めてると呪い殺すぞ、おまえ」と言われたことがあり、その理不尽さに憎悪をおぼえたそうだ。

ある日のこと、朝のホームルームにあらわれたBは、これから本気でだれかを殺すのだろうかという目つきでクラスを見回した。

「だれだ?」

クラスの空気がピンと張り詰める。

「だれだと訊いてるんだろうがッ!」

と叫んでBは教卓をおもいきり蹴りつけた。

その時点で鷲尾さんには、Bがなにをそんなに怒っているのかわからなかった。
後に聞いたところによると、Bの横暴に腹を据えかねたクラスの女子が保護者を通じて学校側に、それも教頭だか校長に直談判した、という話だった。

Bはわけのわからない怒声だか悲鳴のようなものをしばらく喚き続けていたが、そのうちに、完全に据わった目で空中の一点を見つめ、

「おまえら、おれができないと思ってんだろう? ほんとにそうか? やってみせるか? 殺してみせるか?」

そう呟いた直後、

「×××××××××××××!」

と意味不明な外国語のような言葉を叫びはじめたのだという。

ポカーンと口を開けた生徒たちを尻目に、ふらふらと教室を出て行ったBは、結局、戻ってくることはなかった。
Bがいなくなってしばらくすると、慌てた様子で教頭がやって来て、その時間は自習ということになったのである。

休み時間になり、鷲尾さんがクラスの友人たちとさっきの出来事について興奮気味に話していると、ひとりの友人がひどく暗い表情を浮かべている。
どうしたのかと訊くと、

「あれはヤバいよ、あいつ、ほんとにおれらを呪い殺そうとしたのかも」

そう言って、ほとんど泣きそうな顔をしている。

「はあ? さっきのなんて言ってたか、おまえわかったのかよ?」

「アリオク、アスモデウス、バアル・ゼブブ」

「なんだって?」

「悪魔の名前だよ」

次の日からBは学校に来なくなった。

そのまま一週間が経った頃、朝のホームルームに副担任と隣のクラスの担任がやって来て、これからはふたりでこのクラスを受け持つことになったから、と告げた。

Bの消息についてはいろいろなうわさが囁かれたが、例の呪詛の言葉らしきものを吐き捨てたその日のうちに、同居していた妹さんが自宅で首を吊ってしまい、それを目撃したことで精神に異常をきたし、現在はしかるべき病院に入っている、というのがいつの間にか通説になっていたそうだ。

数ヶ月が経つ頃には、鷲尾さんも他のクラスメイトもBのことなんかはすっかり忘れていた。なんだか悪い夢を見ていた感じだった。

そんな頃、たしか期末試験かなにかの最中でクラス中が静まり返っているときだったと鷲尾さんは記憶しているが、教室のうしろに置かれた掃除用具入れから、

「助けてくれよぉ」

という声が聞こえたので、クラス中が騒然となったことがある。試験監督の先生も青い顔をしていた。鷲尾さんもたしかに聞いたが、それは間違いなく、Bの声だったのである。

「あれはなんだったのか、いまでもわけがわかりませんよ。その後しばらくはクラス中が沈んだ雰囲気で、不登校になっちゃった子もいましたね」

卒業して数年後、鷲尾さんは当時の同級生から、街中でBによく似た男を見たという話を聞いた。

全身白ずくめの異様な格好で、掲げ持ったプラカードには下手糞な筆字で「地獄」とか「苦悩」と書かれていたのがとても気持ちわるく、その友人はさっさとその場を離れてしまったから、結局、なにがなんだか詳細はわからなかった、とのことである。