悲鳴窟

怪談その他

【実話怪談】おばさん

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ヨシオさんが小学四、五年生の頃、近所の駄菓子屋の前で友人のヌマタくんと駄弁っていると、知らないおばさんに声をかけられた。ヌマタくんによく似た、垂れ目のおばさんだった。おおかた親戚だろうと思った。
けれどヌマタくんはおばさんとあまり言葉を交わしたくないのか、しきりにヨシオさんの手を引いてほかの場所に行こうと促す。

あれよあれよという間に、ヨシオさんとヌマタくんはだれか(おそらくヌマタくん)の家の居間に座ってクッキーを食べていた。ぽそぽそに湿気ッたクッキーで、ちっとも美味くなかった。発泡スチロールをかじっているようだったという。
そのうち二階から、パタパタ……というスリッパの足音が下りてきた。ヨシオさんの家ではスリッパを履く習慣がないので、とても気になったそうだ。
ヌマタくんのお母さんかな? とヨシオさんは思った。
足音はまっすぐヨシオさんとヌマタくんがいる居間に近づいてくるらしい。そうして入口のドアの前まで来たところで、無音になった。

ヌマタくんは無表情でクッキーを口に運んでいた。
「おうちにだれかいるの?」
「だれもいない」
まるでヨシオさんの質問を予期していたかのようなタイミングだった。留守番電話みたいだ、とヨシオさんは思った。
途端におそろしくなったヨシオさんが「ぼく帰るね」と立ち上がってもヌマタくんは微動だにしない。カクカクと震える足をなんとかたがいちがいに動かし居間のドアの前まで来ると思いきって開け放った。予想に反してそこにはだれも立っていなかった。が、廊下にはクラクラするような有機溶剤のにおいが充満しており、二階からは、ぎゅーん、ぎゅーん、という得体の知れない金属音がひっきりなしに聞こえていた。
一歩一歩、足を取られないように(けれどいったい何に?)廊下を進みながらヨシオさんは、工事中なんだ、工事中なんだ、と念仏のように唱えていた。
いったいどれほどの時間が経っただろう。
這う這うの体で靴脱ぎにたどり着き、ほッと一息ついた瞬間、背後から刺すような視線を感じた。
振り向いてはいけない。
理性がそう叫ぶのだけれど、催眠術にかかったように、ヨシオさんは肩越しにうしろを見遣った。

廊下の奥、居間の入口あたりに影が立っていた。ヌマタくんにしては、あまりに小柄である。
人形? そう思った直後、その影がトトトト……と小走りに駆けてきたのでヨシオさんは大慌てで外に飛び出し、脇目も振らずに走りまくった。

じぶんの家にはあの、ヌマタくんによく似た垂れ目のおばさんがいて、台所で夕飯を作っていた。それがじぶんの母親であることに気づくまでに、ヨシオさんは数時間を要したという。帰宅した彼は母親の顔を見るなり絶叫して自室に閉じ籠り、
「ヌマタくんちの人形が」
「お母さんはどこなの」
そんなことを言いながら泣きじゃくったそうである。
ようやく落ち着いたところで母親に、
「ヌマタくんってだれなの? 学校のお友だち?」
と訊かれて、ヨシオさんは再びゾッとした。
今更ながら、じぶんにはヌマタくんなどという名前の友人はいないことに気づいたからである。
母親が言うには、買い物帰りにヨシオさんがひとり駄菓子屋の前にいるのを見かけて声をかけはしたものの、彼はもごもごと何事かを呟きながらどこかに行ってしまったとのことだった。

ヌマタくんの家がどこにあったかも、もうヨシオさんには思い出せなかったということだ。