悲鳴窟

怪談その他

【実話怪談】何故猫

ショップ店員の優里亜さんが小学六年生の頃、日帰りのバス旅行で日光へ行き、華厳の滝を写真に撮ろうとしたところ、担任の先生がニタニタと笑いながら近づいてきて、
「知ってるか? ここは自殺の名所なんだぞ。こんなところで写真を撮ると、自殺者の霊が写るんだ」
と言った。

優里亜さんは、なんて厭なことを言う先生だろう、とは別に思わなかった。彼女は同年代の子に比べると、いささか醒めた児童だったのである。
それなら華厳の滝で撮った写真は、例外なく心霊写真になるのか、と優里亜さんは思った。そんなバカな話があるものか。

「そうなんですね」と気のない返事をしながら、彼女は写ルンですのシャッターを切った。
担任の先生はその反応に肩透かしを食ったのか、あるいは我ながらつまらない軽口を叩いたものだと反省したのかどうかわからないけれど、優里亜さんに請われるままカメラを受け取り、滝をバックに彼女の写真を数枚撮った。

数日後、現像されてきた写真を眺めていた優里亜さんは「おや?」と思った。
華厳の滝を背景にした写真の一枚に、奇妙なものが写り込んでいたのだ。

カメラに向かってピースサインをしている彼女の胸元あたりに、白い煙のようなものが浮かび上がっている。
前足をあげ、いままさに飛び跳ねようとしている猫のかたちに見えた。

とはいえ心霊写真なんてものは、所詮「そのように見える」だけのものだ、と優里亜さんは思った。
彼女はもうその頃には、幽霊の存在なんて信じていなかったのである。

けれど優里亜さんの母親はそうではなかった。
写真を一目見るなり、
「なにこれ、気持ちわるい……絶対に猫だよ。猫の幽霊だよ……」
と優里亜さんそっちのけで怯えまくり、その写真を持って家を飛び出して行ってしまった。

そうして二時間ほどして帰宅すると、
「やっぱり猫だって! 幽霊! 猫の幽霊!」
と興奮しながら話すことには、なんでも近所のお寺に徳が高いと評判の尼さんがいて、人に頼まれれば除霊の真似事や心霊写真の鑑定をしたりもする。
何度かテレビにも出演したことがあり、近所では有名人だったのだが、なんと母親はアポなしでその人に会いに行き、先ほどの写真を鑑定してもらったのだという。

尼さんは手渡された写真を一瞥すると、
「お嬢さんは小さい頃、どこかで猫と強い縁を結んでいますね」
そう言ったそうだ。

しかし母親にはまるで思い当たることがなかった。
なぜなら優里亜さん宅では、父親が大の動物嫌いのため、ペットの類は一切飼ったことがなかったのだ。
もちろん親戚や友人に猫を飼っている人はいるだろうが、とはいえそんな他人の家の猫と彼女が「強い縁」とやらを結ぶとは、母親にはどうしても思えなかった。

しかし優里亜さんには「もしかすると……」と思い当たる節があったのである。

それは優里亜さんがまだ小学校に通う前のことで、ある日、彼女が近所の公園で遊んでいると、どこから現れたのか、一匹の白猫がこちらを見ていた。
首輪もしていないのでどこかの飼い猫というわけではなさそうだった。
しかし優里亜さんが「おいで」と声をかけると物怖じせずに近づいてくる。
それでしばらくのあいだかまってやっていたのだけれど、気づけばもう習い事に行く時間になっていた。

優里亜さんは猫に「バイバイ」と手を振り公園の外に駆け出した。
そのまま十数メートル走ったところで、背後からものすごいブレーキ音がして、振り向くとイチゴ果汁にまみれたハンドタオルのようなものが路面に貼り付いているのが見えた。
直後、シャコタンの車から運転者の若者がなにか意味不明な言葉を大声で喚き散らしながら出てきたので優里亜さんは頭が真ッ白になってしまい、気づいたときには自宅の玄関口で膝を抱えて泣いていたのだという。

両親からなにを訊かれても茫然自失の態で、これまでだれにも話さず封印していたこの体験こそ、猫との「強い縁」とやらを結ぶに至った出来事ではないか。

まずはそう優里亜さんは考えたのだけれど、次第に「ちょっと待てよ」という気がしてきた。

先の体験を思い出したことが呼び水のようになって、猫にまつわるもうひとつの記憶、それも同じく、死んだ猫にまつわる記憶が、すこしずつよみがえってきたのである。

それは優里亜さんが小学一、二年生の頃のこと。
ある日、登校班が同じ友だちが、通学路にある神社で猫が死んでるよ、と言うので、同級生数人で見に行ったのだ。

そこはなかば打ち捨てられた小さな神社で、宮司のすがたを見たことはない。たまに近所の老人たちが持ち回りで境内の掃除をしているようだったが、それすらもなしくずしになって、いまでは雑草が生い茂り、子どもらの格好の遊び場になっていた。

神社の境内、おそらくはそこの神木なのであろう銀杏の木の下に猫の死体は横たわっていた。
もちろん小学校低学年の児童が「生贄」とか「供犠」という言葉を知るよしもなかったのだけれど、死の気配というかむしろ「生の欠如」をこそ鋭敏に感じるのだろうか、子どもたちはある一定の距離からはそれに決して近づくことなく、遠巻きに眺めていたのだという。

しかし優里亜さんはというと、猫の死体に異様な関心を持ったのである。

彼女はその死体に爪先が触れるほど近づくとその場にしゃがみこみ、一心不乱にそれを観察し出した。
「もう帰ろうよ」と友だちが声をかけてきたのも耳に入らなかった。
気づくとあたりは夕闇に包まれており、どこかから豚汁のにおいが漂ってくる。
母親には「××ちゃんの家で遊んでた」とだけ告げ、次の日からもそう言って、優里亜さんは連日、猫の死体を見に行った。

昨日は単に寝ているだけのように見えた猫は、今日は赤黒く変色し、ほんのすこし膨らんでいるように思えた。次の日には白い米粒状のウジが全身を覆いつくし、すさまじい腐臭を放っていた。
一週間が経った頃にはもう骨と毛皮しか残っていなかったが、それでも神社への日参は欠かさなかったという。
そうしてついに、ある豪雨の日の翌朝、彼女が境内に向かってみると、そこにはもう一片の骨すら見出せなかった。

約二週間、優里亜さんは猫の死体をつぶさに観察し続けていたのである。

そんな記憶が突如としてフラッシュバックしてきて、彼女はうろたえた。
これもまた猫との「強い縁」と言えないこともなさそうだが、それよりもなによりも、当時のじぶんがそんな異様な行為に没頭していたことがたいそうショックで、結局、彼女はなにも言い出せなかった。

母親はというと、それからしばらくは優里亜さんと猫との「強い縁」の話を持ちネタのようにして語っていたが、そのうち飽きてしまったのか、いまでは年に一度か二度、思い出したかのように、
「あんた、むかし猫に取り憑かれたことがあったけど、おぼえてる?」
そんな記憶違いも甚だしい質問をしてくるので、そのたびに「知らない」とあしらうようにしているそうだ。

「ところで」
と話を聞き終えたわたしは言った。
「結局、その尼さんが言ってた猫との『強い縁』っていうのは、いったいどっちの体験を指してたんでしょうね?」

「ぜんぜんわかりません」

優里亜さんはそう言い切った。
「そもそもわたし、幽霊とか信じてませんから。たぶんだけど、蛙坂さんもそうでしょう?」
「それは……たぶんだけど『信じる』という言葉の射程のちがいですね。おれとあなたが見ている世界はそれぞれちがうから。おれの世界には『ない』ものを、『ある』と信じるほかのだれかの世界にも『ない』と断じるのは乱暴じゃないかな」
「おためごかしを言われてる気がします」
「じっさい、おためごかしなんだ。あともうひとつだけ訊いてもいい?」
「もちろん、いいです」
「もし幽霊がいたとして、あなたの写真に写ってたのが猫の幽霊だったとして、そしてその原因があなたと猫とのあいだに『強い縁』が結ばれていたからだとして」
「はい」
「その猫、なんでわざわざ日光旅行の、それも華厳の滝の写真に写ったんだと思う?」
わたしの問いに、優里亜さんはにっこりと笑った。

「ぜんぜんわかりません」

そう言って、彼女はカフェオレを飲み干した。