悲鳴窟

怪談その他

【実話怪談】知らぬが仏

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タクシーにまつわる怪談は数多いけれど、いざ運転手さんに「なにか怖い話あります?」と訊くと、多くの場合、厄介な客を乗せたとか、そんなような話になる。
そもそもわたしがタクシーに乗るのは、よほどの泥酔時乃至疲労困憊時にかぎるので、そんな状態でわざわざ怪談の話題を振ったりはしない(できない)のである。
とはいえごく稀に、こちらが多少元気で、加えて話好きの運転手さんに当たったりすると、ちょっとアタックしてみるかな、という気にさせられることもあり、そんなふうにして集めた怖い話、不思議な話もいくつかある。

主に都内の東側をまわっているタクシー運転手の陣内さんが、ある日、K駅のロータリーでひとりの老婦人を乗せた。和服をきちッと着こなした見るからに品の良い方で、花道かなにかの先生を髣髴させるたたずまいだったという。
「M駅までおねがいできるかしら」
K駅からはだいたい三、四十分ほどの道のりだ。なかなかの上客である。
「かしこまりました」
言いながらメーターを入れ、ちらりとバックミラーを覗くと、老婦人の腰のあたりに黒いかたまりのようなものがまとわりついているのが見えた。
猫かな? 最初、陣内さんはそう思ったという。彼は無類の猫好きで、休日ともなればひとりで猫カフェを訪れるほどの筋金入りである。
車を走らせながらミラー越しにチラチラとうしろをうかがっていると、黒いかたまりは座席を鞠のように転がったかと思えば、次の瞬間には弾みをつけて老婦人の膝の上に飛び乗ったりと、なかなかにアクティブな動きを繰り返している。
ほっこりした気持ちになった陣内さんは、信号待ちの際、彼女に声をかけたのだという。
「元気な猫ちゃんですねえ」
そう言ってうしろを振り向いた彼の笑みは一瞬で凍りついた。
猫ではなかった。それはざんばらな黒髪を振り乱した若い男の生首だった。
生気のない両目が陣内さんをジッと見つめている。
二度、まばたきして、消えた。
「まあ、あなた、見えるの?」
必死に悲鳴を押し殺していると、老婦人がそんなことを訊いてくる。
「は……いえ、まあ……その……」
「大丈夫。ぜんぜん怖いことないのよ」
「え? えーッと、それは……」
「うちで飼ってた猫ちゃんなの。もう亡くなって半年になるかしら」
「ね、ねこちゃん……」
「たまにね、あなたみたいに見えちゃう人がいるのよ。わたしの前には一度も出てきてくれないんだけど」
「……そうでしたか……」
本当のことは決して口にすまい。
そう思った。
というか、できないわな。
陣内さんは安全運転で目的地までたどり着いたが、その間、後部座席では老婦人が遠い目をしながら猫ちゃんとの思い出を話し続けていたという。